「1年ぐらい読んでいない」「3年に1冊読めばいい」―本を読まない読書時間ゼロという日本人が2人に1人まで拡大しているという。論文の課題を出しても、インターネットからの情報をコピー、貼り付けで済ませ、自分の意見が言えない大学生も多く、専門家は読書ゼロの影響を危惧する。
本にかわって人々が手放さないのがスマートフォンだ。キャスターの国谷裕子は「手元のスマホでネットにつなげば瞬時に膨大な量の情報を得られるいま、本をじっくり読む意義を見出せなくなっているのでしょうか」と半ば憂え、半ば戸惑う。ネットはどんな変化をわれわれの思考力に与えているのか。
情報処理能力高いが、自分の意見が持てない
本を読む学生と読まないでネットに頼る学生にどんな違いが出るのか。人間の情報探索行動を研究する筑波大図書館情報メディア系の逸村裕教授が、読書時間ゼロの学生4人と読書をする学生2人を対象に次のような実験を行った。
学生たちをインターネットと図書館を自由に利用できる環境に置き、「英語の早期教育は必要か」というテーマで1時間で1500字以内で論旨、意見をまとめるという課題を与え、学生がどのように情報を集め自分の論を展開するかを観察した。
まず、学生全員がパソコンに向かい、検索サイトで「英語の早期教育」というキーワードで検索したところまでは同じだった。ところが、10分後、1日2時間は本を読むという学生は図書館へ向かい、英語教育学論集など3冊の本を選んだ。
目の動きやホームページの閲覧数を計測できる特殊な装置を頭に着けた読書ゼロの学生は、パソコンに見出しと150字ほどにまとめた概要が出るたびに、わずか1秒ほどでそれを読み、素早く判断するという高い能力を発揮した。読書ゼロの学生は1分当たりに閲覧するHPの数は11年前の学生の3.38倍と高い情報処理能力を身につけていることが分かったが、見つけた記事について時間をかけて読み込むことはなく、一部をコピーし貼り付け、手を加える作業で小論文を完成させていた。小論文はテーマが多義にわたっているが、自分の意見は「日常から英語に親しませることが重要」「早期教育を行うには教員が大量に必要」などわずか2~3行だけだった。多岐にわたったテーマに関連づけた記述は皆無だった。
これに対し、図書館で文献を見つけ読み込んだ学生は「英語に早期教育が必要なのか」というテーマに絞って文献を調べた結果、「大人になっても外国語の学習は可能」という研究結果を見つけ、小論文では「幼少時から英語教育を行う必要は必ずしもないのかもしれない」と展開し、自分の意見として「早期教育に過度に重点を置いて他の教科の授業時間を減らすようになっては本末転倒である」と記述されていた。
逸村教授は「読書ゼロの学生は多くの情報を迅速に集めます。それに関する学生の技量は明らかに上がっていますが、集めすぎた情報に振り回されて、自分の意見の論理的展開ができず、どこに自分の意見があるのか見えなくなってしまったようです」と指摘している。