俳優の菅原文太が肝がんのために11月28日(2014年)亡くなった。81歳だった。先ごろやはり亡くなった高倉健とともに東映やくざ映画の看板スターで、「昭和の映画界を背負った人でしたね」(司会の羽鳥慎一)と、「モーニングバード!」は1時間以上を割いて取り上げた。
映画版とテレビドラマ版でともに「幸福の黄色いハンカチ」
東映やくざ映画が「昭和の映画」を代表するような取り上げ方には多少違和感を覚えたが、文太と健さんの比較は面白かった。高倉健が主演した「幸福の黄色いハンカチ」の映画版で助監督、菅原文太が主演のテレビドラマ版で監督を務め、2人をよく知る栗山富夫氏がこんな話をした。
「二人は明確にライバルでしょうね。文太さんは健さんに『何も俺は負けてねえょ』って死ぬまで思っていたんじゃないでしょうか、役者として。しかし、健さんが文太さんを意識していたかどうかはうかがい知れなかったですね。健さんはそういう意味じゃ面白い人です。自分のことで精一杯で、人のことなどとんでもないというスタンスじゃないですか。
犯しがたい功績として残っているもの(映画版『幸福の黄色いハンカチ』)をリメイクするというアホな作業ですから、文太さんは当然あの役がはらむ矛盾に気づいたと思います。
それを軽々とかわしながらおやりになった。どっかで、文太さんは『オレにはこうしかできないよ』って自負はあったと思うんです。健さんに対する自意識っていうのは相当なものがあったと思いますね」
嘘ごとやってられない恐ろしく知的な人
文太はなぜ「トラック野郎」などコミカル路線に転じたのか。
「恥ずかしかったんでしょうね、健さんみたいに『いい人』を演じるのが。健さんはひたすら人間として偉い人、偉い人っていうふうに行っちゃうでしょ、求められて。文太さんにしてみれば、『そんなことはよせよ。そんな嘘ごとやってのかい』っていう思いがどこかあったはずです。
僕は文太さんは恐ろしく知的な人だと思いましたね。だから、(演技は)下手くそなんだけど、それにめげずに『どう生きたらいいんだ?』ってことを役者としても、人間としても哲学した人なんですよ。それを健さんよりしていたんだと思います」
岩上安身(ジャーナリスト)「それは文太さんの戦争体験だろうと思います。お父さんも叔父さんも戦争に行っている。あの『仁義なき戦い』シリーズのドラマは実録ドラマで、みな実在の人物。敗戦で復員してきた戦争帰りで荒ぶる気持ちを抑えきれずにやくざになった。その自らの体験を重ねて演じたと思う。片やアウトローを演じ、片や平和を願う。ギリギリのところ歩きながら『戦争は絶対やっちゃいけない』と意識しながら生きてこられたと思います」
文
モンブラン