オペラ歌手の中島啓江さんが亡くなったと所属事務所が28日(2014年11月)に発表した。死因は呼吸不全。肥満のために血液中の酸素が不足するという信じられない症状で、4オクターブの声が消えた。まだ57歳だった。165センチの身長に体重170キロの巨体で、明るいキャラクターでシリアスなものからバラエティーまで何でもこなして人気だった。
5日前にはミニコンサート
中島は先月17日に体調を壊して入院し、翌日はミニコンサートのステージをつとめて病院に戻ったが、21日に体調が悪化し23日に死去した。20年以上の付き合いという歌手の小林幸子は「信じられなくて。電話したけど出ない。メールで『早く返信ちょうだい』と送ったんですけど、まさかこのような状態とは」とただただ驚いていた。
昭和音楽短大で中島の後輩になるオペラ歌手の森公美子は、自分たちを「LLsisters」と呼んでいた。「いつも私の前を歩いてくれました。 学生時代からかわいがっていただきました。突然過ぎて言葉になりません」と話す。
血中酸素が足りないとはどういうことなのか。「スッキリ!!」のレギュラーコメンテーターで医師のおおたわ史絵は、「酸素不足に加えてCO2が排出できない状態」という。原因は肥満。内蔵脂肪、皮下脂肪で横隔膜が押し上げられ、肺が圧迫されて呼吸が十分にできなくなる。「日中の眠気」「起床時の頭痛」「だるさ」が出て、それが続くと心臓にも負担になって命をおびやかすのだという。
中島はこの春からヒザの痛みでツエを使っていた。医者にもかかったが、治療よりもダイエットだと取り組むはずだった。肥満は音大に入ってからで、本人も「バスケをやっていた時は食べても消化しきれていた。音大に入ってスポーツは止めたのに食べるのは止めなかったから」と話していた。
79年に藤原歌劇団に入ってデビューして35年。1987年の宮本亜門演出「I GOT MERMAN」でブレークした。体形からビッグママの愛称で親しまれ、文句のない歌唱力で、幅広いレパートリーをこなし、親しまれた。「音楽で笑顔になってほしいから、自分も笑顔になりたいから。それが彼女の生き方」(小林幸子さん)だった。
オペラ歌手は体が楽器
支えてきたのは母タミエさんで、94年から続けている博品館劇場でのコンサートも、タミエさんが桜が好きだからと3月に開く。97年にその母が亡くなってからの落ち込みは大きかったというが、05年に「千の風になって」と出会って立ち直った。母にもらった言葉を記している。「自分がされていやなことは絶対人にするな」「ありがとうの心」
司会の加藤浩次「亡くなる5日前までステージを勤めていたんですね」
キャスターのテリー伊藤「コンサート来てよといつもいわれてた。まだ若いよね」
勝谷誠彦(コラムニスト)「オペラ歌手は体そのものが楽器だといわれますからね。とくに女性は体格のいい方が多い。それが過剰になって体に負担をかけたのかな。ギリギリの体調管理ですよね。でも、もう少しなんとかならなかったものかなとうらみに思います」
テリー「50過ぎると足腰弱くなる。声も大事だが肉体はもっと大事」
密葬はもう終わっていて、年が明けてから音楽葬をやる予定だという。