ジョニー大倉「ロックンロールな死」永ちゃんともう1度やりたかったステージ

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   司会の小倉智昭は伝説的なロックバンドとして「キャロル」の名をあげたが、知っている若者がどれだけいるか。矢沢永吉(65らとその「キャロル」を支えたジョニー大倉が肺炎のために19日(2014年11月)に亡くなった。62歳だった。

ロック界で大暴れ「キャロル」4人組

   4人組のキャロルは1972年にデビューし、作曲は主に矢沢、作詞はほとんどジョニーが担当し、73年の「ファンキー・モンキー・ベイビー」の大ヒットで人気を不動のものとした。ジョニーの発案だったリーゼントに革ジャンというファッションは一世を風靡した。

   キャロルが解散したあと、ジョニーは俳優としての才を発揮。81年の映画「遠雷」で日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞している。87年にはホテルの7階から転落する事故に見舞われたが、翌年には復帰して、ついたあだ名が「不死身のロックンローラー」

   そして昨年5月、肺に15個のがんが見つかり、「余命2週間」と伝えられたが、今年4月には「死の渕から舞い戻ったジョニー大倉です。肺がんで入院した時には、もうこんなことはできないと覚悟した」とステージに立った。杖をつき、支えられながら7曲を歌い、「(ガンから復帰した)ロックンローラーはなかなかいないからがんばります」と話していた。

矢沢永吉からもお悔み「非常に残念です」

   しかし、容態は悪化し、9月に予定されていたバースデー・ライブには出演できず、車イスに座って酸素吸入をするビデオの映像で「またすごいライブを皆様にお届けしますので、少々お待ちください」と話したのが最後のメッセージとなった。

   元キャロルのメンバーからは言葉が寄せられた。「まだ実感がわきません」(ユウ岡崎)、「元気な姿を心に刻んでおきます」(内海利勝)。確執がいわれた矢沢永吉からは「非常に残念です。心からお悔やみ申し上げます」とだけだった。

   小倉智昭「残念ですが、来年はジョニー大倉さんもソロ・デビュー40周年になるはずだった。バンド活動ではいろいろ確執も生まれる。矢沢さんからもお悔やみはあった」

   長男のケンイチ大倉さん(42)は「父は『矢沢さんともう1度会って、ともにステージに立ちたい』といっていました」と語った。

文   ヤンヤン| 似顔絵 池田マコト
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