本当の高倉健「処世術に長け人付き合いもすごく器用」健さん撮り続けた写真家が知る素顔

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<「後輩の役者が挨拶に来ると、自身もすっと立ち上がり、一礼をする。まめに手紙を出す。サプライズ・プレゼントを贈る。私も母が亡くなった時、健さんから葬式に香典とお花を贈っていただきました。かように、健さんは気遣いの人なのです。ただ客観的に見れば、こうしたことからも、彼が処世術に長けた人だということが分かります。不器用どころか、実はすごく器用な方だったと評価できる。知人に数え切れないほどロレックスをプレゼントしており、確かに気前は良いのですが、値段の高いデパートなどでは買わず、輸入会社から直接仕入れていました。こういう細やかさ、周囲への気配り、まめなところは、剛健な俳優というより、柔らかさを持った女優的なものを感じます」>

   網走番外地シリーズ時代からスチール撮影で高倉健に密着し、公私ともに親交の深かった写真家のムトー清次氏は『週刊新潮』で高倉をこう分析している。

   今週は各誌グラビアを含めて健さん一色といってもいい。週刊誌には「おめでた1号悲しみ3号」という言葉がある。結婚などのおめでたい話は1週間しかもたないが、有名人の離婚や葬儀は3週間もつというのだ。

   健さんのプライバシーの多くはベールに包まれているが、少しずつ明らかになってきている。たとえば、江利チエミにぞっこんだった健さんは、ストーカーまがいのことをやっていたという。彼女の所属事務所社長だった木村隆氏が振り返る。

<「生前のチエミから聞いた話ですが、大豪邸だった江利家の前の電柱に、夜な夜な身を隠すようにして立つ人影があったそうです。家人が気味悪がり、父親が誰何すると、『俳優の高倉健です』と答えた。しかし、空前の人気を誇ったチエミに比べ、当時の健さんはまだ無名。父親は『そんな俳優、知らん』と取り合わなかった」>

   それでも彼はチエミ詣でを続け、鉄格子の門からチエミのいる洋館のほうに向かって靴を投げ込み、自分の来訪を知らせたという。父親もここまで娘のことを思っているならと交際を許したそうだ。

東京・高輪の理髪店にあったチーム高倉の「執務室」

   健さんが東京にいるとき、世田谷・瀬田の自宅から毎日通ってくる「場所」があった。ボルシェやマセラッティなどこだわりの車コレクションの管理、ロケ同行、諸々の手配をこなす「チーム高倉」がそれだが、そこは港区・高輪の商業施設内にある理髪店なのだ。

<「一見したところ、高級理髪店の雰囲気なのですが、隠し部屋がありまして。実はそこ、健さんの『執務室』になっているんですよ」(ベテラン芸能記者)>

   部屋の中央に散髪台が置いてあるほか、テレビやFAXなども完備していて、店主とコーヒーを飲みながら歓談して1日を過ごした。

   高倉健にはしばしば「ゲイ説」が流れたことがあったが、実際の彼は無類の女好きだったと、ベテラン映画記者が明かしている。<「古くは、東映ニューフェイスの2期生として入社した直後に同期の女優、丘さとみに手を出し、付き合っていた。江利と結婚していた当時も、女遊びは豪快でした。たとえば木曽でロケを行った際、1日時間が空くと、後輩たちを引き連れて、名古屋まで繰り出し、遊郭で遊ぶこともありました」

   倍賞千恵子とも男女の仲を疑われたことがあった。60代半ばに差し掛かった90年代後半、ある女性タレントに夢中になっていたという。長渕剛や広岡瞬と結婚、離婚を繰り返し、当時は独身だった女優で歌手の石野真子だ。(健さんてああいうのが趣味なのか?)。口説き方が凄い。北海道・札幌すすきのにある豪壮な寿司屋を丸ごと借り切り、二人きりで寿司をつまみながら語らい、彼女への熱い思いをぶつけ、その夜、彼女を口説き落としたそうだ。

   さらに、高倉健には80歳を超えてなお、親密に会食を楽しむ女性がいたという。この数年、自宅に近い高級イタリアン・レストランに40代の女性を伴って、お忍びで食事に来ている姿が何度も目撃されていたそうだ。

裏方も必ず名前で呼んだ撮影現場の気配り

   『週刊文春』によると、健さんが入院した病院は慶應大学病院のVIP病棟。健さんの知人がこう話す。<「健さんが本当に心を許していた人は、数少なかった。俳優では小林稔侍さん、中井貴一さん。それに、毎日のように通っていた理髪店の主人Sさんと、都内で飲食店を経営するJさんです」>

   とくに、中国から来日して苦労して事業を成功させたJさんを弟のように可愛がっていて、中国ロケの際も通訳として同行させた。闘病中もずっと一緒で、悪性リンパ種を患った健さんを連れて上海、北京に行き、高名な漢方医や鍼灸医、気功医に見てもらっていたそうだ。Jさんは自宅に大きな祭壇を作っていて、そこに健さんと親しかった人たちが訪れ、別れの挨拶をしているそうである。先日は長嶋茂雄も顔を見せたという。

   多くの人が健さんについての思い出を語っているが、『週刊ポスト』にあった「鉄道員」「ホタル」で助監督を務めた佐々部清さんの話を紹介しよう。<「『鉄道員』の完成をお祝いした時でしょうか。撮影所の中で、降旗さん、高倉さんを真ん中に記念写真を撮ったんです。倉庫整理の人、美術、カメラ整備など東映を下支えして定年を迎えられたり、退職した人たちを含めて100人ほどが集合しました。

   何十年、ともに映画をつくってきた人たちです。みな、おじいちゃんです。高倉さんは全員の名前を憶えていました。昔から、『そこの照明』とか絶対いわない人でしたが、その時もみなさんの名前を呼んで、おじいちゃんたち泣いておられました。

   高倉さんはおっしゃった。『あと何年、自分は役者でいられるか。もうあと何本出られるかわからない。だから何を撮ったかではなく、なんのために撮ったかが大事なんです』と」>

   人一倍寂しがり屋で話し好きだった高倉健は、生涯「孤高の昭和の男」を演じ続けた。最後の映画俳優の死を心から悼む。高倉健も立川談志もいない人生なんて、寂しい。

安倍自民党が青くなった大敗予測!週刊現代「50議席減」、週刊ポスト「過半数割れ」

   さて、まったく盛り上がらない衆院選挙だが、安倍自民党は楽勝といわれているが本当なのだろうか。どうやら週刊文春、週刊新潮はあきらめたのか、選挙予測はやっていないが、週刊現代と週刊ポストが「自民『50議席減』一気に倒閣へ」(週刊現代)、「295選挙区&比例区完全シミュレーション 安倍自民『過半数割れ』驚愕データ」(週刊ポスト)と、そんなことはないという特集を組んでいる。週刊誌の『習性』で、世の中の大勢が自民党は負けないだろうと諦めているところへ、そんなことはないと反旗を翻すのは常套手段だが、根拠はあるのだろうか。

   週刊ポストによれば、自民党王国と呼ばれる自民党岐阜県連の県議や市議、支持団体幹部たちが解散表明の3日前(11月15日)にこう決議したという。<県内の業界団体の大半から「仕事はあるが、利益が出ない。いつもの年より厳しい年末になる。選挙をやっている余裕はない。選挙が年末商戦に響く。何のための解散なのか、意味がよくわからない」と反対や疑問視する声が相次いで出ている>

   さらに週刊ポストは、自民党はさる11月15~16日に重点選挙区の情勢について独自の世論調査を行った。幹部たちはその結果を見て色を失ったという。<「1か月前の10月に行った調査では、いま解散しても重点選挙区の取りこぼしはほとんどないという圧勝の数字が出た。官邸は気を強くして解散へと舵を切ったが、今回の調査では有権者の空気がまるで変わり、厳しい選挙区が大きく増えていた。明らかに逆風が吹き始めている。

   自民党支持層を固めていないのが大きい。逆風を止められなければ、短期決戦でもわが党は40~50議席ぐらい減らす可能性があると党執行部は青くなっていた」(自民党選対幹部)>

   政治ジャーナリストの鈴木哲夫氏もこう語っている。<小沢(一郎=筆者注)氏はここぞというときには隠密行動で仕掛ける。最近も、維新の橋下共同代表や政敵の間柄と見られている民主党の前原誠司・元代表と会談して非自民勢力結集の必要性を説いたという情報がある。

   リアリストの小沢氏は新党がすぐには無理でも、民主と維新が中心になって全国に野党統一候補を立てることで自民党と互角に戦う体制をつくることが重要と分析しており、非自民勢力結集を自分の最後の仕事と考えているのではないか>

   週刊ポストのシミュレーションでは、自民党は現有295議席から60議席以上減らして単独過半数割れの231議席という衝撃的な惨敗予測となったという。意外な安倍自民党への逆風に、安倍首相は北朝鮮と組んで選挙中に拉致被害者の「生存発表」という大陰謀を考えていると週刊ポストは報じているが、たしかにこの数字は安倍を慌てさせること間違いない。

   週刊現代も選挙で自民党は50議席減らし、選挙後一気に倒閣へ動くと読んでいる。安倍総理と会談をした米プリンストン大学教授のポール・クルーグマン氏は「いますぐにでも消費税を5%に戻すべきだ」といっているし、世界的投資家のジム・ロジャーズ氏も同様のことをいっているが、そんなことは財務省が怖くて安倍にできるはずはない。政治アナリストの伊藤惇夫氏はこう分析している。

<「常識的に考えれば、与党は議席を減らします。前回の12年の衆院選で自民党は大勝しましたが、実は小選挙区での得票率は、大惨敗を喫した09年の衆院選に比べて、わずか4%強しか増えていません。(中略)
   今回の選挙では野党の候補者調整がうまくいけば、自民党の負ける小選挙区が出てきます。もし40議席から50議席を減らすことになると、安倍政権の先行きに暗雲が漂い、来年9月の総裁選での再選に暗い影を落とすでしょう」>

   政治評論家の浅川博忠氏も、<「協調が完全にうまく行けば、野党合わせて200議席に届く可能性もある。今のままでは難しいと私は予測していますが、何かきっかけが起これば、わからない」>

大橋巨泉「本当の争点は憲法改正、集団的自衛権、原発再稼働なんです」

   継続的に安倍政権批判をしている大橋巨泉氏が週刊現代でこう書いている。<安倍の真意を読み解こう。今までもたびたび書いてきたが、彼の本当にやりたい事は、「憲法改正」であり「集団的自衛権」である。しかしこれを争点に選挙をしても勝てない。原発再稼働をテーマにしたら確実に負ける。だから支持率が高く、野党が分散して弱いうちに、特に争点のない選挙やって、とりあえず勝っておこうという、憲政史上かつてない、ふざけた解散なのだ。

   日本はマスコミがだめだから、あたかも安倍が、豪州のG20で大活躍したように報じているが、実際に豪州にいたボクは、あちらの新聞やテレビに、安倍が大きく取り上げられていたのを、見たことがない>

   たしかに解散してから潮目が変わってきたことは間違いない。安倍首相の目論見通りにいかない雰囲気が出てきたと思う。

   選挙民の最大の悩みは自民党は嫌だけど入れたい政党がないということだろう。そういう人は共産党か、それが嫌なら公明党でもいい。今度の選挙は争点がないといわれる。しかし、自民党が単独過半数を維持したら、アベノミクスが支持されただけでなく、原発再稼働も特定秘密保護法も憲法9条を蔑ろにしたこともすべて信任されたと、安倍首相はいい出すに決まっている。そうさせてはいけない。この選挙を通じて国民がこれらのことに「ノーだ」という意思表示をするためには、自民党を勝たせないことなのだ。

「イスラム国」拘束の湯川遙菜氏いまどうなってる?救出に消極的な外務省

   ところで、「イスラム国」に日本人の湯川遙菜氏(42)が拘束されてから3か月が過ぎた。週刊ポストによれば、外務省は「イスラム国」幹部とのパイプを駆使して湯川氏救出に乗り出したイスラム研究者の提案を黙殺していたという。その中田考同志社大客員教授をインタビューしているが、中田氏は「イスラム国」にテロ志願した北大生の件で、10月に警視庁公安部によって家宅捜査されている。

<「私は研究で培ったイスラム諸国とのパイプを活かして長年、外務省の要請により協力してきました。今回、イスラム国に拘束された日本人人質の解放のために危険を冒してシリアにも渡った。それなのに、日本政府は人質救出を支援するどころか、私を私戦予備の疑いで捜査している。どういうことなのでしょうか」>

   コーランは同じイスラム教徒を殺すことを禁じている。したがって彼が「イスラム国」に協力することなどありえないと話している。<「イスラム国の人間と連絡を取っているというだけで『テロリスト扱い』されて、私戦予備・陰謀の容疑をかけられたら、誰ひとりとしてイスラム国と連絡をとることができなくなります。

   日本ではイスラム国は全員が戦士のように誤解されていますが、そこで暮らす99%は普通の生活を営んでいる普通の人です。そうした現地の実態を伝える人間がいなくなれば、ますます無知と無理解が広がってしまいかねません。

   私はシリアのアサド政権が人々を殺戮していたときも、『空爆の前に人々を助けに行くべきだ』と発言してきました。トルコを含めてすべての国が国境を開かなければ、普通にそこで暮らす人たちが国を出ることができず犠牲になる。

   イスラム国やカリフ制を研究するだけで『テロリスト』とされるのであれば、これは表現の自由や学問の自由を脅かす事態ではないでしょうか」>

   もっともな怒りである。いくら無謀な人間でも、日本人である限り国や外務省はあらゆるルートを通じて救出を図るべきである。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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