司会の小倉智昭はきのう18日(2014年11月)、奈良へ向かう新幹線の中で「高倉健死去」を知ったという。「奈良のトークショーでその話をしたら、悲鳴にも似たどよめきが会場に広がりました。あらためて存在感を再認識しました」と話す。「とくダネ!」は1時間14分を健さん追悼に割いた。
「11月10日午前3:49 生ききった安らかな笑顔でございました」
訃報はきのう正午前に所属事務所から入った。
「映画俳優高倉健は、次回作品準備中体調不良により入院、治療を続けておりましたが、様態急変にて11月10日午前3:49 都内の病院にて旅立ちました。生ききった安らかな笑顔でございました」
比叡山延暦寺の僧侶から贈られた座右の銘「往く道は精進にして 忍びて終わり悔いなし」が記されていた。病名は悪性リンパ腫。「83歳の命を全う致しました」。すでに密葬を終えていた。
出演した映画は205本になる。昨年、映画俳優初の文化勲章授章した。共演した俳優たちとの交流、エピソードがさまざまな口から語られたが、映画の場面を含めてあげたらきりがない。テレビの強みは映像と音だ。インタビューなど本人の声がたくさん残っていた。
「うれしいより責任重大だなという気持ち」(文化勲章授章で)
ビートたけしとのトークで、たけしが「(撮影現場で)健さんが椅子に座らないとラジオで言ったもんだから、本人もみんなも座れなくなっちゃった」というと、「訂正します。全部、たけちゃんの作り話です。本当に迷惑しています」(2011年)
「俳優になったのは生きるため。親父には、男がする仕事ではないと。大学まで出て俳優かばかやろうといわれた」(2012年)
「母も兄も撮影中に亡くしましたが、帰らなかった」(1991年)
「映画はボクのすべて」(82年「南極物語」で)
「(砂漠は)もうあんまり行きたくない。食べ物はこだわらないんですが、スタッフが作ってくれたラーメンとカレーからがたがたと崩れて、毎晩それがないとダメになった」(88年「海へ~See you」)
「愛の反対は無関心。だから関心をもつことは愛」(93年)
「うれしいですね。50歳になってロマンスもないと思うんですけど、プライベートなことを話すのはあんまり好きじゃない」(81年、倍賞千恵子さんとの仲を取りざたされ)。そのあと血液型がBでインタビューアーと同じとわかり、「必要ならすぐに、ちょっと汚れた血ですけど」