キャリアの絶頂で女優を引退、映画祭で恋に落ちた小国の王子様と結婚。宮廷暮らしでもかごの鳥となることなく「モナコ公妃」としての務めを果たし、世間に嘱望されても、生涯銀幕に戻ることはなかったグレース・ケリーをニコール・キッドマンが演じる。実話に基づくフィクションという触れ込みだ。
グレースが惜しまれながら銀幕を去って6年後から物語は始まる。王宮での生活に鬱屈としていた彼女の下に、良い知らせと悪い知らせが舞い込んでくる。ひとつは女優復帰のオファー、そしてもうひとつは隣国フランスからの侵略の危機だった。
傲岸フランス・ドゴール痛烈批判!圧巻のラスト
ただでさえ頼れるもののいない外国での生活は不安と孤独に満ちているのに、まわりの視線は冷ややかだ。苦悩をわかってほしい、以前のように生き生きと働きたいと思っても、生まれ故郷の家族すら「プリンセスになれたというのに」と取り合ってくれない。歯に衣着せぬ物言いと物怖じしない態度はアメリカ式だとそしられ、屈さないでいると「心構えがなっていない」「見た目だけのお飾り女」と見下される。頼みの夫も外圧に苛立ち、彼女自身を否定せんばかりの権幕だ。
「別れたら」「女優に戻ったら」と悩みはつきない。ほら、もう...王族に嫁ぐなんて幸せなわけないじゃんと歯噛みしたくなるが、ここからが良いところ。グレースは国の危機、夫婦関係の危機に真っ向から立ち向かう。その根底にあったのはひとつの信念だった。愛する家族のために、人生を賭けて「モナコ公妃」という役を演じ切る。
フランス語なまりの英語を学び、モナコ皇室の仰々しいマナーをひとつずつ身に付ける。貴族の権力争いやメンツばかりを気にする周囲を逆手に取り、マスコミを味方にして外交にも乗り出す。
ドゴール政権の大国主義に立ち向かうスピーチのラストシーンは圧巻だ。緊張で吊り上った目元が、話すほどにほどけていき、自信と慈愛に満ちた表情に変わる。銀幕の向こうの何万人の賞賛よりも、本当に愛する人のために「モナコ公妃」であり続ける。そう考えると、彼女は生涯一女優だったのかもしれない。
「家族のため」「国民のため」愛ゆえに耐え忍ぶ姿どこか違和感
......しかし、「愛する家族と、国民のために生き、幸せでした。立派でした。キャリアよりも、名声よりも、やっぱ愛よね」というラストにもろ手を挙げて賛成かというと、それはまた別の話である。
グレースは確かに幸せだったのかもしれないけれど、彼女がもし映画界に復帰していたなら、歴史が変わっていたかもしれない。家族を捨てて銀幕に戻ったというエピソードも、彼女にアーティストとしての凄味を付け足していたかも。
「愛ゆえに」という異議を唱えにくい正義を掲げることで、「身を尽くした」という生き方がすべて肯定されてしまうとしたら、こんなに怖いことはない。もちろん、この映画は彼女が天秤にかけたものの大きさも劇中できっちり描いたうえで、その「選択」に彼女の生き方を見てもらうのが趣旨だと思うので、あまりフェミニスト的に騒ぎ立てる気は毛頭ないのですが。
女の「耐え忍ぶ強さ」に価値を見出しがちな国民性を加味すると、ちょっぴり鼻息荒くなってしまう秋の夜なのでした。
(ばんぶぅ)
おススメ度☆☆☆