「エボラ国内侵入」お手上げ!日本では治療できない...専用ベッドはたった88床

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「フライデー」30周年!一番凄かったスクープ写真「小渕首相瀕死の病床」

   『フライデー』が創刊されたのは1984年11月9日。今年で30周年を迎える。先週号から「創刊30周年!」と銘打って創刊号からのスクープを年ごとに掲載している。創刊号の目玉は当時「天才投資家」と謳われた「投資ジャーナル」の中江滋樹会長と人気アイドル倉田まり子のツーショットだ。これ以外にも三島由紀夫の切腹現場というのが、たしか巻頭にあったと記憶している。

   次の年は「カメラの前で悪徳商法の親玉メッタ刺し 豊田商事会長 血まみれの末路」、翌年85年は「日航機墜落 地獄の事故現場から12歳少女が奇跡の生還」。いま見ても迫力のある写真だ。

   私が編集長時代の「雲仙・普賢岳大噴火!」(91年)、山口組系の鉄砲玉がフライデー編集部を襲って副編集長の頭部を強打して逃げたときの現場写真なども取り上げられている。やはり一番凄いスクープだと思うのは、今週号に載っている「小渕恵三首相(当時)の病床写真」(00年)である。当時の青木幹雄官房長官らは小渕氏が「次は森喜朗だ」といったとして強引に森政権を誕生させてしまうのだが、この写真を見れば、小渕氏が後継を口にできる状態でなかったことは一目瞭然である。

   草創期の写真週刊誌は、私から見てもプライバシー侵害などやりたい放題で、ビートたけし軍団がフライデー編集部を襲撃したことをきっかけに写真誌批判が巻き起こり、部数が急落していった。

   だが、あの頃の写真には、いまはなくなってしまった「熱気」がこもっていたと感じられる。読者よりも編集部員がこれらの写真を見て、写真誌の原点とは何かをもう一度考えてほしいと思う。

   先週も今週も特大号だから430円! そのために今週も袋とじが5本もあるが、「美川憲一が夜な夜な自宅に招く伝説のオカマ」まで袋とじにする必要があるのだろうか。

   この中では「関根恵子」の未公開ヌードと「東欧の素人娘7人純真ヘアヌード」がいい。だが、張り込みネタを含めてほかには見るべきものが、巨大な木彫りの「男根」にまたがって嬉しそうに笑っている菊田まきこ衆議院議員(宮沢洋一経産相がSMバーに政治資金を出していたことを「汚らわしい」といった人)の写真だけというのは寂しすぎはしないか。

周辺住民の反対でほとんど使えない国立感染研究所村山庁舎

   エボラ出血熱が世界中で蔓延する恐れが出ているが、『週刊現代』は「日本は絶対に防げない」と警鐘を鳴らしている。なぜか。東京・新宿の国立国際医療研究センターに勤務する看護師の女性はこう指摘する。

<「いまの日本の態勢では、エボラ出血熱の本格的な治療・研究はできません。患者さんから採取した血液から、エボラウイルスを分離して、その性質を調べたり、どんな薬が効くのか調べたりすることができないからです」>

   エボラ感染の疑いのある患者が出た際、患者の血液などの検体を受け入れ、ウイルスの有無を確認するのは国立感染症研究所村山庁舎になるという。だが、ここは住民の反対などでほとんど使えないのだそうだ。そのため、BSL(バイオ・セーフティ・レベル) 4の施設として国の指定が受けられていないのだ。昔ここがつくられたとき、周りは畑ばかりだったが、その後、周りに住宅ができ、小学校や小児療育病院などもあるため、住民の反対運動で検査もできないという。住民の不安を考えたら無理もないというしかないのだろう。

   日本人の特徴は忘れっぽいと同時に、何か起きるとすぐにパニックを起こすことである。エイズの1号患者が出たときも、日本中にエイズが広がるという風評のためパニックが起こったが、今度も一番怖いのは社会の混乱だと医師がいっている。ひどい人は報道を見ただけで過換気症候群になり、息ができなくなることもあるそうだ。

   ウイルスの権威であるカリフォルニア大学サンフランシスコ校のチャールズ・チウ博士が語る。<「エボラの初期症状はインフルエンザに極めてよく似ている。咳はあまり出ませんが、発熱、嘔吐、筋肉痛、疲労感、下痢など。特徴的なのはしゃっくりが出ることですが、それが出始めると残念ながら死亡率は高くなってしまう」>

   日本には高度な感染症に対応できる指定医療機関は、厚労省の定める特定感染症指定医療機関、第一種感染症指定医療機関を合わせても全国で45機関88床しかないのだ。

   航空機が発達した現在、西アフリカで発生したエボラウイルスは世界中に広がる可能性がある。空港での渡航者検疫などの水際作戦だけでは到底防ぐことはできない。最悪の事態を想定して、厚労省はエボラなどの感染症対策を大至急、本気で取り組む必要があること、いうまでもない。

元朝日新聞記者一家に「生存脅かす卑劣な攻撃・脅迫」メディアは黙っていていいのか

   木村伊量・朝日新聞社長が11月中(2014年)に辞めることが決まったが、『週刊文春』『週刊新潮』は批判の手を緩めようとはしない。今週も週刊文春は元朝日新聞記者・本多勝一氏の「南京大虐殺」について批判している藤岡信勝氏との「公開誌上激突!」をやっているし、週刊新潮は木村社長が辞めることによって「慰安婦問題の虚報を矮小化しようとしている」「第三者委員会による調査は大甘」だと追及している。

   もはや「ミミタコ」の批判のための批判だとしか私には思えない。だが、こうした記事が一人歩きして、元朝日新聞記者の一家の生存権を脅かす事態になっていることは、どの週刊誌も報じていない。『創』12月号で往住(とこすみ)嘉文北海道新聞編集員が植村隆氏への脅迫事件についてレポートしている。

   植村元朝日記者は大阪社会部時代に元慰安婦の証言記事を書いたことで知られる。このことについてはこれまでも書いてきているのでここでは触れない。彼は朝日新聞を早期退職する前に神戸松蔭女子学院大学教授の公募に願書を出し、合格して退職の準備を始めていた。そこへ週刊文春が「慰安婦捏造記者がお嬢様大学の教授に」と報じ、抗議の電話やメールが来て、大学から「学生募集に影響が出る」などの理由で断られてしまった。

   その後、植村氏は退職して北海道・札幌の北星学園大学教授に就いた。だが、そこにも「なぶり殺しにしてやる」などの脅迫状が続々届く。大学を爆破してやるという脅迫電話の主は「威力業務妨害」の疑いで逮捕されたが、「国賊」「売国奴」という言葉がいまもネットには溢れている。それは植村氏の子どもたちにまで及び、ネット上に長女や長男の個人情報が写真付きで載せられ、長女には自殺を教唆する内容まであるという。

   札幌市民が「マスコミには頼れない」といって立ち上がり、10月6日に「負けるな北星!の会」を発足させた。学問、言論の自由を守れと学者、文化人、政治家、弁護士なども賛同者になった。北星大学はキリスト教系で、戦後50年には「北星学園平和宣言」も出している。だが、北星の田村信一学長は10月31日に植村氏との来年度の契約を更新しないことを検討していると表明した。

   学問や言論の自由の前に植村一家の生存権が脅かされているのだ。こうした個人攻撃を週刊文春や週刊新潮はどう考えるのか。歴史もクオリティもある両誌が「個人への攻撃は止めるべきだ」と表明してはどうだろう。安倍首相が朝日新聞を離れた元記者たちへのヘイトスピーチのような行為は慎むべきだとひと言いうべきではないか。他のメディアもわが事として捉え、紙面を使って止めるよう呼びかけるべきである。「言論の自由を守る」とはそういうことなのだ。

佐世保同級生殺害A子「殺人願望メモ」猫より人間のほうが興奮する

   佐世保で起きたむごたらしい同級生殺害事件も3か月が過ぎただけだが、すでに人々の記憶から薄れていっているのではないか。『週刊ポスト』はA子が凶行におよぶ3日前、継母に生々しい殺人願望を語っていたメモを継母の知人から見せてもらったという。A4用紙8枚にわたるメモには、A子が病院に向かう車の中で継母に語った生々しい言葉が書かれていた。

<A子 この話は父さんとか他の人にはいわないでほしいんですけど。
継母 わかった。2人の間にとどめておく。
A子 猫のことなんですけど、正直、楽しみを奪われるのは嫌ですね。
継母 そっか、(A子にとっては)楽しみなんだね。
A子 そうです。楽しいですね
継母 猫を殺すことが楽しいの? それともその後の解体の方が楽しい?
A子 後者は付随的なものです。あくまで前者がメイン。
継母 猫で満足できずに、攻撃の対象が人に向かうのではないか、という考え方もあるよね。
A子 猫より人間のほうが興奮する、楽しい>

   自殺したA子の父親の弁護士がこう話している。

<「前妻の死後間もない再婚で父親はバッシングを浴びましたが、彼は真剣そのものでした。A子を心から愛していたし、それゆえA子を傷つけはしないかと真剣に悩んでいた。
   2月にA子を祖母と養子縁組させたのも、A子により多くの財産を残してやりたいという弁護士ならではの親心でした。
   バット殴打事件後、A子を一人暮らしさせたことも、もともとはA子の希望であったし、留学予定だった秋までの半年間の賃貸契約だったんです」>

   週刊ポストは<父親もまた事件のもう1人の被害者だった>と結ぶ。こうした悲劇を繰り返さないためにも、この事件を風化させてはいけない。

独立リーグ「香川オリーブガイナーズ」痛快監督!ドラフト会議の指名選手次々輩出

   プロ野球はシーズンオフでFAなどの話題が紙面を賑わしているが、ちょっと変わった球団を週刊文春が取り上げている。国内独立リーグの「香川オリーブガイナーズ」で、アイランドリーグplus(四国IL)」で総合優勝を5回している強豪である。

   その日の当たらない独立リーグのチームに、今年のドラフトで小さな奇跡が起こった。東京ヤクルトが4巡目指名のいの一番に、このチームの寺田哲也投手の名を挙げたのだ。寺田はもう一つの独立リーグ「北信越BCリーグ」のチームに所属し、MVPを獲得したが、どこの球団からも獲得の意思表示である「調査書」は届かなかった。今年、香川に移り43試合に登板して6勝4敗6セーブ。防御率2.91でリーグ10位と平凡で、しかも27歳。それなのに寺田のもとにはドラフト前に5球団から「調査書」が届いていたという。

   それは、香川を8年連続で率いている「一風変わった元天才打者」西田真二監督(54)の存在があるからだという。西田はPL学園で78年夏にエースで4番として全国制覇し、法政大学でも日本一、ドラフト1位で広島カープに入団した。現役13年間で規定打席に達することはなかったが、4番を任されることもあり、セ・リーグタイ記録となる4連続代打本塁打を放っている。練習はしないし自分勝手に振る舞うが、その打撃には山本浩二も衣笠祥雄も一目置いていたという。

   その西田が率いる香川は07年から8年連続、ドラフトで17人の指名選手を輩出している。多くは育成枠だが、この数は国内のあらゆる名門チームと比べても抜きんでている。西田の選手指導は変わっている。ひと言、ワンポイントアドバイスだけなのだ。だが、昨年のドラフトで中日ドラゴンズから2位指名を受けた又吉克樹投手は、西田の「もっと真っ直ぐを投げろ」というアドバイスで、140キロ前後だった球速が148キロまで伸びたそうだ。

   西田の凄さはそれだけではない。電話魔で売り込みがうまい。各球団のスカウトへ選手のことを売り込むのはもちろん、落合博満や星野仙一にも物怖じしないで直接売り込む。抜け目なく、なかなかの食わせ者だと筆者の中村計は書いているが、そうでなくては独立リーグの監督は務まらないのだろう。いまのプロ野球にはいなくなった痛快な男である。

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