後援会の観劇会費用などを肩代わりしていたとして小渕優子経済産業大臣は辞任したが、資金管理を任せていたという後援会との関係はどうなっていか。小渕は辞任会見で「申しわけないのですが、私自身わからないことが多すぎます」「私自身もなんでこうなったのかに疑念を持っています」と語った。さらに、「私が子どものころからずっと一緒に過ごしてきたスタッフのもとで資金の管理をしてもらっていた」とも話した。
その後援会や政治団体は父の元首相・小渕恵三氏の代から事実上引き継いだ。父親のころからやってきたことととはいえ、その後、公選法や政治資金規正法が厳しくなったのに対応しなかったということだ。
何かとうるさい父・恵三元首相時代からの古株支持者
小渕の選挙区は群馬5区で、次点に10万票以上の差を付ける圧倒的強さは地元秘書を中心とした後援会の力が大きい。政治コラムニストの後藤謙次氏は「優子ファンクラブみたいなもので、先代から預かった跡取りを自分の手で育てたいという思いが地元の秘書グループにあった」という。
「スッキリ!!」は小渕の地元・中之条町の有権者に集まってもらった。「あれ(後援会)はおじいちゃん(小渕光平)が初めて出たときにできたのよ」と女性支持者らはいう。後援会は祖父の代に発足し、父の代に大きくなった。父・恵三は普段から地元によく顔を出して地盤を築いていったらしい。
ところが、優子は「全然、来もしないよ」「だれも会っていない」「最初に出る(立候補する)ときに挨拶に来ただけ」「お祭りに顔を出すぐらいよ」と地元の面倒見は良くないらしい。日本テレビの青山和弘解説員は、優子は「後援会に丸投げだった」と見る。「強い後援会に乗っかってきたんです。父を支えた人たちに口を出すのはむずかしいですからね。政治家として脇が甘かったと言えます」と話す。