引退の高橋大輔「28歳でやっと自分と向き合ってるんです」将来のことはこれから...

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   フィギュアスケートの高橋大輔選手(28)はきのう14日(2014年10月)、故郷の岡山で会見し、選手生活からの引退を表明した。「日本人男子初」という数々の記録を作ってきた世界のトップスケーターもついにその時を迎えた。ただ、「将来はこれから」と微妙ないい方をした。

母親に「おかん、引退するけんよ~。だれにもいったらいけんよ」

   「引退です」と言ってから、「次に進んで区切りをつけたい」。決断は「9月半ば」だったという。「ソチ五輪がひとつの区切りでした。以後、モチベーションを保つのが難しかったですね。現役を続ければ次の五輪を考えるが、今の自分には4年後まで続けられないと思ったんです」

   会見には母の清登さんも同席して、「昨夜、電話で『おかん、引退するけんよ~。だれにもいったらいけんよ』言ってきたんです」と明かした。母の電話には滅多に出ない。30回に1回だったそうだが、最後は区切りを付けた。2人とも口をそろえて、長年支援してくれた人たちへの感謝を述べた。

   4人兄弟の末っ子。8歳からスケートを始めたが、スケートは金がかかる。理容師の母の客から募金が寄せられたことは知られている。やがてそれが実を結んだ。15歳の2002年、世界ジュニア選手権で優勝。ここから「日本人男子初」が始まる。07年(21歳)に世界選手権2位、10年2月(23歳)にバンクーバー五輪で銅メダル、同3月(24歳)の世界選手権優勝、12年(26歳)グランプリファイナル優勝。

   挫折もあった。06年19歳で臨んだ初の五輪のトリノでは4回転ジャンプに失敗して8位に終わる。08年(22歳)の右ひざの前十字じん帯断裂は再起を危ぶまれたほどだったが、見事甦ってバンクーバーへ。しかし、ソチ五輪直前の12年12月(26歳に右足を負傷し、五輪には出たものの6位に終わった。このとき、ライバルの羽生結弦は金メダル。だれの目にも世代交代は明らかだった。そしてさらに、次世代の若手が台頭している。潮時という言葉が浮かぶ。

   高橋は次についてこう話す。「いままで自分の人生に向き合って答えを出したことがない。何をやりたいか、将来何になりたいか、社会人になるときだれもが経験することを、28歳になってやっと...。これから経験を積んでいきたいと思います」

文   ヤンヤン| 似顔絵 池田マコト
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