フィギュアスケートの高橋大輔選手(28)は引退会見で今が潮時を思いながらも未練が残る心境を明かした。「正直、現役に未練がないわけではないし、チャンスがまったくなくなったわけでもないです。復帰できるということもあって、すっきりした気持ちで競技に戻りたいのか、全然違う道を歩むのか、また違ったスケートの道を歩むのか、一度ゆっくり考えていければと思って...」
「今のままでは不可能だが...」「モチベーションの問題」
引退の一番の要因を聞かれ、「今までソチ五輪を目指してきたが、難しいと感じていました。それがまだできるのかと考え、今のままでは不可能と感じたんです。モチベーションというところがあるのかなと思います」。
高橋には3人の母親がいるという。生みの母と2人のコーチ。母は「生んだのは私なんですけど、育ててくれたのは2人の力が大きかったんじゃないかと思っています」という。
高橋がフィギュアと出会った小学2年の時、基礎を教えてくれた一人目のコーチが佐々木美行さん、二人目は中学に進んでからのコーチ、長光歌子さんだ。「素直にスケートの好きな選手だった」(佐々木さん)という高橋は、順風満帆のスタートを切り、15歳になった02年3月の世界ジュニア選手権で日本人男子初の優勝、19歳の05年2月にはトリノ五輪で8位入賞、07年世界選手権でやはり日本人男子初の銀メダルに輝いた。
ところが、試練がやってくる。08年10月に練習中に転倒し、右ひざのじん帯断裂、半月板損傷した。リハビリ生活の苦しさから逃げ出したくなって、「もう無理。やりたくない。スケートなんてどうでもいい」と口にした。しかし、コーチの長光さんの一言、「やめたければやめていいわよ」が高橋を変えた。「自分にはスケートしかない」
「今の段階でコーチや指導者、振付師という選択肢は考えていません」
齋藤孝キャスター「コーチの存在って大きいですね。『やめてもいいわよ』で気が楽になった。知っている人でないと言えない言葉だと思います」
辛いリハビリ生活を克服し10年3月のバンクーバー五輪では銅メダル、同年3月の世界選手権で日本人男子初の優勝という快挙を果たした。しかし、ソチ五輪3か月前、右足脛の損傷でソチ五輪は6位に終わった。
プロフィギュアスケーターの鈴木明子(29)は数日前に高橋から引退の報告を受けた。その時に印象を「すごく晴れやかな表情で、自分の中で説明がついたのだろうと感じた」という。今後の活動を聞かれた高橋は、「今の段階でコーチや指導者、振付師という選択肢は考えずに、その前にスケートと向き合って根本的な部分をやっていきたい」という。
ソチ五輪6位のままで終わりたくない。まだ現役復帰の夢を捨てきれないのだろうか...