「日本では新技術を開発した研究者の能力が正しく評価されていません」
ノーベル物理学賞を受賞した中村修二・カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授は語気を強めた。中村教授をノーベル賞受賞に導いたのは怒りだった。中村教授の兄・康則氏は「幼いころの弟の夢は鉄腕アトムのお茶の水博士になることでした。猛烈な負けず嫌いな性格ですね」と話している。
やめろと言われても続けた高校時代の弱小バレー部
大竹真リポーターが伝える。「中村教授は小さい頃から負けず嫌いであったそうです。高校時代にはバレー部に属しましたが、チームの実力は最下位レベル。監督からバレー部をやめて授業に専念すれば成績が伸びるといわれましたが、それでもバレーボールを続けていたそうです」
中村教授は徳島大学工学部に入学したが、入学から半年は大学に姿を見せなかった。理由は、物理学をやりたくて入学したのに、1年生は文学や歴史の単位を取らねばならず、それが嫌だったからだ。徳島大学時代の同級生・西浦大介氏は「ある日突然、彼から絶縁状が送られてきました。そこには、私たちと一緒にいると遊び癖がついてしまうからと書かれていました」という。
赤色LEDに強烈な敵愾心...「必ず見返してやる」
中村教授は大学卒業後に日亜化学工業に入社し、赤色LEDの製品化に携わるが、その市場はすでに大手メーカーが席巻していた。当時の中村教授を知る東北大学・秩父重英教授は「赤色LEDは大手に取られた。必ずいつか見返してやると言っていました」と語る。青色LEDの製品化に成功して見返したわけだが報奨金は2万円だった。
大竹「正当な報酬が得られなければ優秀な研究者が育たないとの怒りから、中村教授は会社を相手取り200億円の支払いを求めて裁判を起こし、約8億5000万円で和解が成立しています」
木村健太郎弁護士「この裁判は弁護士の間でも話題になりました。新製品や新技術を開発した人物と企業の関係のあり方に一石を投じました」
坂口孝則(経営評論家)「ノーベル賞は実用化や商業化側の人にはあまりあげない。基礎研究の側に渡す、今回の中村教授の受賞は貴重な前例となるでしょう」