今年(2014年)のノーベル物理学賞に、青色の発光ダイオード(LED)を開発・実用化した3人の日本人が選ばれた。赤崎勇・名城大教授(85)、天野浩・名古屋大教授(54)、中村修二・米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授(60)だ。日本人の物理学賞は6年ぶりで22人になった。
「20世紀中には無理」といわれていた研究
授賞理由は「明るく省エネの白色光を可能にした青色LEDの発明」という。スウェーデン王立アカデミーは「人類の利益に貢献した発明に賞を与えるのはノーベルの精神そのもの」とまで評価した。LEDは省電力効果が大きいが、赤と緑は比較的早くできたが、青色を出すのは難しく「20世紀中には無理」とまでいわれていた。
赤崎教授は名古屋大時代の1989年、天野教授ととともに青色LEDを作り出した。90年代はじめ、その製法を進化させて実用化の道を開いたのが、当時は徳島の日亜化学工業の研究者だった中村教授だった。
LEDは青色で3原色がそろい、白色光とあらゆる色が可能になった。いまや信号機から家庭の照明、街のイルミネーション、大型ディスプレイ、テレビ・スマホ画面にいたる、生活のあらゆるところに活用されている。
受賞の知らせに赤崎教授は「幸運です。私一人でできたわけではありません。賞に値するとは思わなかった」と謙虚だった。京大の学生時代は「あまり勉強もせず、山に登っていた」。松下電器産業(現パナソニック)を経て名古屋大に移り、LED研究に入った。
天野教授はフランスに出張途中だった。グルノーブルテレビの中継に「(受賞は)フランクフルトでメールで知りました。300通あった。驚きでいまも半信半疑です。赤崎先生、中村先生はともかく、私は思ってなかった。(LEDの普及は)多くの方々の努力を結集した結果です」
さらに、「研究が趣味みたいなもので、研究を楽しんでます。家族にはいつも怒られてます。(名古屋へは)なるべく静かに帰りたい」「才能あふれる人間ではないので、若い人たちも研究を身近に感じてくれれば」とこれまた謙虚だ。
巨大市場生み出す新製品に会社の発明報奨金たった2万円
異色は中村さんだ。愛媛出身で徳島大工学部を出て地元の日亜化学工業に就職し、ここで93年に青色LEDの製品化に成功したが、会社からの発明報奨金は2万円だった。大発明なのにそれはないだろうということで、01年に訴訟を起こし、東京地裁は200億円の支払いを命じた。会社側は納得しなかったが、和解で8億円が支払われた。中村さんはアメリカに移って現在にいたっている。
その中村さんは「日本にいたときは四国から出たことがなかったんです。高校までが愛媛県で、徳島大を出て徳島の田舎の会社に20年間。ローカルなところにいても、本人のやる気と意欲があればここまで来るということで、私をみれば若い人はやる気がでるのではないか」と話す。
3人の受賞に日本科学未来館の田村真理子さんは「世界的な普及からも受賞を予想していました。世界の電力の4分の1は照明に使われていますが、LEDで地球資源を守れます」
司会の小倉智昭「利用価値という点では、これまでのノーベル賞より広く及ぶかもしれないですね。中村さんは日本は研究の場にふさわしくない、アメリカに来なさいといっているけど、アメリカを捨てたデーブはどう?」(笑い)
デーブ・スペクター(テレビプロデューサー)「中村さんのやったことで、いくらか(日本の)環境は良くなっている」
小倉「会社で2万円しかもらえずに裁判になったが、8億円も寄付したんだそうですね」
深澤真紀(コラムニスト)「訴訟には、『サラリーマンなのになぜ』という声もありました。中村さんが残したものは、企業には重いが、いま基礎研究が弱くなっているんです」
笠井信輔ニュースデスク「(訴訟すると)ノーベル賞はもらえないよと忠告されていたといいます。その反骨精神はすさまじい」
とにかく、このノーベル賞はわかりやすい。