巨大市場生み出す新製品に会社の発明報奨金たった2万円
異色は中村さんだ。愛媛出身で徳島大工学部を出て地元の日亜化学工業に就職し、ここで93年に青色LEDの製品化に成功したが、会社からの発明報奨金は2万円だった。大発明なのにそれはないだろうということで、01年に訴訟を起こし、東京地裁は200億円の支払いを命じた。会社側は納得しなかったが、和解で8億円が支払われた。中村さんはアメリカに移って現在にいたっている。
その中村さんは「日本にいたときは四国から出たことがなかったんです。高校までが愛媛県で、徳島大を出て徳島の田舎の会社に20年間。ローカルなところにいても、本人のやる気と意欲があればここまで来るということで、私をみれば若い人はやる気がでるのではないか」と話す。
3人の受賞に日本科学未来館の田村真理子さんは「世界的な普及からも受賞を予想していました。世界の電力の4分の1は照明に使われていますが、LEDで地球資源を守れます」
司会の小倉智昭「利用価値という点では、これまでのノーベル賞より広く及ぶかもしれないですね。中村さんは日本は研究の場にふさわしくない、アメリカに来なさいといっているけど、アメリカを捨てたデーブはどう?」(笑い)
デーブ・スペクター(テレビプロデューサー)「中村さんのやったことで、いくらか(日本の)環境は良くなっている」
小倉「会社で2万円しかもらえずに裁判になったが、8億円も寄付したんだそうですね」
深澤真紀(コラムニスト)「訴訟には、『サラリーマンなのになぜ』という声もありました。中村さんが残したものは、企業には重いが、いま基礎研究が弱くなっているんです」
笠井信輔ニュースデスク「(訴訟すると)ノーベル賞はもらえないよと忠告されていたといいます。その反骨精神はすさまじい」
とにかく、このノーベル賞はわかりやすい。