池上彰「週刊文春で週刊文春批判」朝日新聞を売国呼ばわり節度なさ過ぎ
週刊文春、週刊新潮の朝日新聞叩きがますます激しくなってきている。木村伊量社長が全面降伏したことで、今回は週刊誌側の「完勝」とはなったが、誤報問題でいえば、週刊誌も朝日新聞のことを大声で批判できるほど身ぎれいではない。
週刊誌も誤報の『宝庫』である。週刊新潮は朝日新聞襲撃事件犯人の告白の大誤報について、未だにほとんど説明らしき説明をしていないことを読者は忘れてはいない。『週刊現代』は先日、直木賞作家になった黒川博行氏への名誉毀損問題を忘れてはいまいな。週刊現代が誌上でそのことについて読者に詫びたという記憶がないが、どうしたのか。
佐村河内守氏を「現代のベートーベン」と持ち上げ、STAP細胞で小保方晴子氏をノーベル賞候補だと騒ぎ立てた多くは週刊誌である。彼ら彼女たちが「偽物」だとわかった瞬間から、自分たちの非をまったく省みず、人間のくずのように非難し、追い回す。
私もこの欄で何度か、世の中の正義面した人間の仮面をはぎ取る週刊誌の役割に喝采を送ったことがある。だが、週刊誌を含めたメディアが取材して暴けるのはその人間の一部にしか過ぎない。自分が全能の神になった如く大声でその人間を非難するのではなく、常に、もしかしたら自分たちは過ちを冒しているのかもしれないという懐疑の心を持ちながら記事にするということを忘れてはなるまい。
週刊文春で池上彰氏も、朝日新聞に石を投げられるメディアがいるのかと疑問を呈している。彼がこれまで見聞きしてきたいくつかのメディアの「言論封殺」の例を挙げこう書いている。
<こうした一連の批判記事の中には本誌を筆頭に「売国」という文字まで登場しました。これには驚きました。「売国」とは、日中戦争から太平洋戦争にかけて、政府の方針に批判的な人物に対して使われた言葉。問答無用の言論封殺の一環です。少なくとも言論報道機関の一員として、こんな用語は使わないようにするのが、せめてもの矜持ではないでしょうか。朝日は批判されて当然ですが、批判にも節度が必要なのです>
これを読んだ週刊文春の編集長の顔が見てみたい。