「よこはま・たそがれ」など数々のヒット曲で知られる作詞家の山口洋子が今月6日(2014年9月)、呼吸不全のため都内の病院で亡くなっていた。77歳だった。女優から一転して銀座の高級クラブママ、作詞家、さらには直木賞作家と、多彩な活躍で昭和をいろどった波乱に富んだ人生だった。
『五木ひろし』発掘して名付け親...「よこはま・たそがれ」大ヒット
彼女が生み出したといってもいい歌手の五木ひろし(66)は、「いまも受け入れられない状態です。僕の代表曲といえば山口洋子さん。ずっと一緒でした。40数年間、片時も離れたことがありませんでした」と沈痛な面持ちだ。
出会いは1971年だ。五木は17歳でデビューしたものの7年間は無名で、銀座で弾き語りをしていた。日本テレビ系の「全日本歌謡選手権」に出たとき、山口は審査員だった。ここで山口のプロデュースで「五木ひろし」の名前と「よこはま・たそがれ」が生まれた。
♪よこはま たそがれ ホテルの小部屋 くちづけ 残り香 タバコのけむり......
体言止めが強烈な印象だった。「それが新しい歌謡曲を作ったかな」と作曲した平尾昌晃はいう。山口は「森進一とは全然違ったタイプの歌手に育てたい」といっていたそうだ。「歌い手さんの運命にかかわっていくみたいな歌を書けるのは幸せ」(99年)ともいっていた。
山口の芸能界でのスタートは女優だった。57年の東映のニューフェースで、同期は佐久間良子、室田日出男、山城新伍らがいる。山口さんは早々に女優を見切る。19歳で銀座でクラブ「姫」をオープンし、「最年少銀座マダム」ともてはやされたが、心は満たされなかった。
友人だった歌手の依頼で、銀座のホステスの悲哀をテーマに作詞をしたことで世界が変わる。「徹子の部屋」(85年)で「山口さんは他の人よりいいものを書いてもらわないと困る。他に仕事をしてるから道楽に見られるとよくいわれた」と話していた。
70年に「噂の女」が内山田洋とクールファイブでヒットし、次が「よこはま・たそがれ」だ。この大成功のあとも、74年に「うそ」(中条きよし)、76年に「もう一度逢いたい」(八代亜紀)とヒットが続いた。
直木賞受賞式では「プロの資格をいただいた」
そして次が小説の世界だ。演歌歌手を育てるディレクターを描いた「演歌の虫」「老梅」で85年の直木賞を受賞する。そのとき「直木賞をいただいて、タイガースが優勝して日本一になって」「本当に自分が書きたかったものでヒットがほしい。プロの資格をいただいた」と話している。
昨年1月、誤嚥性肺炎で入院したあと入退院を繰り返していたが、最近は散歩をするなど安定していたという。5日に容態が急変、翌日帰らぬ人となった。
小松靖アナ「だれもが知っている歌詞が多いですよね」
舘野晴彦(月刊「ゲーテ」編集長)「歌詞がすごいですよ。『よこはま・たそがれ』でも、体言止めが世界観を醸し出している。銀座の生活が作品の宝庫だったんでしょうが、時代が違うなと感じます」
高木美保(タレント)「女優は他人の書いたものを代弁する仕事だけど、自らゼロから言葉を生み出す仕事で成功された」
舘野「歌詞を聞いたのは小学生ころ。意味はわからないけど耳に残っていますね」