大阪の顔にもなっている道頓堀のグリコの看板がきのう17日(2014年8月)、点灯納めになった。午後10時の消灯では、時報にあわせてカウントダウンが行われ、歓声とともに、輝くイルミネーションの真ん中、グリコだけがぽっかりと闇になった。新しいグリコの看板のお目見えは秋。どんなデザインになるのか。
ネオン職人少なくなってLEDに切り替え
この日が最後というので、明るいうちから心斎橋の上は記念写真を撮影するの人で埋まった。「大阪人だけに悲しい」「象徴だからね」と惜しむ声が多いのだが、実は年代によってイメージが違っていた。いままで16年間務めてのは5代目だった。
初代が昭和10年で、これはまだタワーのイメージで、ランナーは上の方にちょこんと乗っていた。戦時中の昭和18年まであった。2代目は昭和30年で「1粒300メートル」が強調され、下部にステージがあって、ワニの人形がピアノを弾いていた。
3代目は昭和38年(1963年)で、これは丸形。真ん中から水が吹き出すものだった。4代目が昭和47年(1972年)からで、ランナーとトラックと「ひと粒300メートル」が24年間も続いた。
5代目は98年からで、ランナーとトラックの背景に大阪城や通天閣を配して、朝焼けから夜景までの1日の変化を2分7秒で表してもいた。さらに、ランナーも阪神タイガースやサッカー日本代表などさまざまに衣替えもできた。
これらを支えてきたのはネオン管だが、この職人が少なくなったためにリニューアルとなったのだった。次の6代目はLEDになる。
秋には未来を感じさせるランナー登場
前田典子(モデル)「私は前の4代目の方が馴染みがありますねえ」
赤江珠緒キャスター「あれは長かったですよね」
青木理(ジャーナリスト)「あの一帯のけばけばしさは、グリコの看板が作ったものだったんだなという感じがしますね。通天閣とか大阪市が景観指定をしているなかで、グリコだけが看板・広告なのに指定されている」
石原良純(タレント)「大阪を代表してますよ」
司会の羽鳥慎一「大阪って引いたら絶対出てくる。で、次は?」
小松靖アナが「10月」といいかけて、フロアをみて「来年春?」「秋?」とブレた。結局、今年の秋だが、何月かは決まっていないそうだ。「ランナーは変わらないが、未来を感じさせるものなるということです」
羽鳥「水が出るのがいいな」
大阪人の自慢がまたひとつ増えるか。