週刊現代よ、苦労はわかるがいくらなんでも「禁じ手」だよ…少女A父親の「手記まがい記事」
ここで『週刊現代』がこの事件を扱ったタイトルを見てもらいたい。「スクープ!佐世保『高1同級生惨殺』事件 早大卒・弁護士・53歳 加害者の父『悔恨と慟哭の日々』」
スクープとついて佐世保の同級生殺しの女子高生の父が「悔恨と慟哭の日々」とくれば、全文が父親の手記とは思わないが、立ち話でもできたのかと思うではないか。駅で買って地下鉄の中で読み始めたが、どこまで読んでも父親の短いコメントすら出てこない。羊頭狗肉は週刊誌の常だとは思うが、これでいいのか週刊現代、といいたくはなる。部数を多く刷る合併号というプレッシャーが編集長にあったことは想像に難くない。だが、自分の編集長時代のことを省みずにいわせてもらえば、これは「禁じ手」である。
この事件を扱うなら他にいくらでもやり方はあるはずだ。編集長の最初の指示は「何としても父親のコメントを取れ」だったのだろう。だが、結局、徒労に終わったことがわかったとき、編集長はありったけの知恵を絞り読者が手にとってくれるようなギリギリのタイトルをひねり出したのだ。その苦労はわかるが、やはりこのタイトルをつけてはいけないと思う。