理化学研究所の発生・再生科学総合研究センター(CDB)副センター長の笹井芳樹氏がきのう5日(2014年8月)朝、CDB内で自殺しているのがみつかった。「夢の細胞」といわれたSTAP細胞の研究で小保方晴子ユニットリーダーを指導する立場にあった。一連の騒動で英科学誌「ネイチャー」への論文は撤回されたが、なお再生検証は進行中だった。
心理的ストレスで普通の会話も成り立たず
遺書は3通あった。うち1通は小保方氏宛で「限界を超えた。精神的に疲れました。小保方さんを置いてすべてを投げ出すことを許してください」と謝罪に始まり、ともに研究に費やした期間にも触れたあと、「こんな形になって本当に残念。小保方さんのせいではない」として、最後に「絶対にSTAP細胞を再現してください。実験を成功させ、新しい人生を歩んでください」とあった。
理研の改革委員会は7月、CDBの解体と笹井氏への厳しい処分を提言していた。笹井氏はこれに「誤りを事前に発見できなかったことを反省している」と話していた。笹井氏はこの頃から心理的ストレスからか体調が不良で、しばしば研究者との会話が成り立たないこともあったほどだったという。上司である竹市雅俊CDBセンター長も「笹井氏が疲労困憊して通院していた」ことを把握していた。
STAP細胞検証はとん挫
笹井氏は日本の再生医療研究の権威で、ES細胞研究の第一人者だった。36歳の若さで京大教授に就任したが、雑用が多すぎて研究ができないと理研に移った。その後任が2012年にノーベル医学・生理学賞を受賞した山中伸弥教授だ。
笹井氏は理研CDBの建設の中心となり、世界最先端の研究開発拠点に作り上げ、13年に副センター長になった。STAP細胞研究はCDBが発した最初の世界的トピックだった。1月の発表会見でも、記者から「iPS細胞への対抗意識は?」と問われるほど、笹井氏の高揚感が伝わったものだった。
その後の展開は周知のことだが、8月中には検証実験の中間発表があるといわれていた。萩谷順(法政大学法学部教授)「理研が検証をしているということは、STAP研究そのものはインチキじゃないと思っていることです。だから、(笹井氏を追い詰めたのは)むしろ組織の問題じゃないのでしょうか。国立の研究開発法人の指定がありますしね」
科学ジャーナリストの大朏博善氏は「笹井さんが実質論文の論理構成をしたものが崩れてしまった。理研の政策をどうするかなどのプレッシャーが積み重なったが、だれも助けてくれない、答えが見つからなかったということではないでしょうか」という。
司会の羽鳥慎一「研究はもちろんですが、交渉能力も経営能力も高かった人ですよね」
大朏「研究をプロデュースする力ですかね。理研でもそれが一番求められていたはずですが、機能しないまま個人の問題と単純化されてしまった」
羽鳥「そのキーマンがいなくなった影響はありますか」
大朏「不正論文の全容解明に暗雲が立ち込めました。STAP細胞の存在証明は不可能になったのではないですか」
萩谷「日本の研究者の山は、かつての野口英世や志賀潔の時代のようなひとつじゃない。八ヶ岳のように多くの山がありますから、それほど悲観することないのではないでしょうか」
大朏「だれ、なぜを乗り越えて、研究機関と国の関係などを考え直すいい機会を与えてくれたと考えるほうがいいのではないですか」