STAP細胞検証はとん挫
笹井氏は日本の再生医療研究の権威で、ES細胞研究の第一人者だった。36歳の若さで京大教授に就任したが、雑用が多すぎて研究ができないと理研に移った。その後任が2012年にノーベル医学・生理学賞を受賞した山中伸弥教授だ。
笹井氏は理研CDBの建設の中心となり、世界最先端の研究開発拠点に作り上げ、13年に副センター長になった。STAP細胞研究はCDBが発した最初の世界的トピックだった。1月の発表会見でも、記者から「iPS細胞への対抗意識は?」と問われるほど、笹井氏の高揚感が伝わったものだった。
その後の展開は周知のことだが、8月中には検証実験の中間発表があるといわれていた。萩谷順(法政大学法学部教授)「理研が検証をしているということは、STAP研究そのものはインチキじゃないと思っていることです。だから、(笹井氏を追い詰めたのは)むしろ組織の問題じゃないのでしょうか。国立の研究開発法人の指定がありますしね」
科学ジャーナリストの大朏博善氏は「笹井さんが実質論文の論理構成をしたものが崩れてしまった。理研の政策をどうするかなどのプレッシャーが積み重なったが、だれも助けてくれない、答えが見つからなかったということではないでしょうか」という。
司会の羽鳥慎一「研究はもちろんですが、交渉能力も経営能力も高かった人ですよね」
大朏「研究をプロデュースする力ですかね。理研でもそれが一番求められていたはずですが、機能しないまま個人の問題と単純化されてしまった」
羽鳥「そのキーマンがいなくなった影響はありますか」
大朏「不正論文の全容解明に暗雲が立ち込めました。STAP細胞の存在証明は不可能になったのではないですか」
萩谷「日本の研究者の山は、かつての野口英世や志賀潔の時代のようなひとつじゃない。八ヶ岳のように多くの山がありますから、それほど悲観することないのではないでしょうか」
大朏「だれ、なぜを乗り越えて、研究機関と国の関係などを考え直すいい機会を与えてくれたと考えるほうがいいのではないですか」