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古舘伊知郎いまでも印象に残ってる久米宏のひとこと「強烈なサバイバルなんだよ」

   『AERA』の「古舘伊知郎と『報ステ』の10年 『裏』を語る勇気がないんです」をおもしろく読んだ。古舘伊知郎という男を以前は嫌いだった。軽薄が洋服を着て歩いている男。そうとしか思っていなかったが、「報道ステーション」をやり出してから見方が変わった。こいつなかなかいいじゃないか。そう思うようになったのだ。

   福島第一原発の放射能汚染問題を積極的に取り上げ、集団的自衛権容認に反対する言動は、テレビという大きな制約のある中では頑張っているほうである。田原総一朗氏が年のせいか政権にすり寄っているように見えるのとは違う。この10年の間に勉強し努力をしてきたのだと、密かに評価している。

   その古館氏が10年ぶりに吉田豪氏のインタビューに答えた。奥歯にものが挟まったようないい方は釈然としないが、これが彼の限界なのだろう。「もうとにかく口にさるぐつわした状態で10年経ったわけです」と、彼が置かれた状況をこう自嘲している。

   彼は今年で60歳になる。したがって「しゃべり手人生はどこまで続くだろうかとかいろいろ思うと、余計に悔いを残したくないし、やりたいことをちょっとやらせてくれっていうのが、正直なところですよね」と本音を少し漏らしている。

「ニュースも表しか伝えないところがありますからね。伝えられないけど、言外にある裏側、バックステージみたいなことも、スタッフに嫌な顔をされてもちょこっとは言いたくて。ただ場外乱闘までいってない、エプロンサイドぐらいで」

   「報道ステーション」をやる前から久米宏のことは意識していたそうだから、久米に挨拶に行ったことがあるという。「そのときに久米さんの楽屋にあいさつに行ったら、そんなに親しいわけじゃないんですけど、『いや、古館君。毎日毎日、月~金の報道番組をやるっていうのは、もう強烈なサバイバルなんだよ』って言ったの。僕はピンときてないんです、自分はやったことないから。やるつもりもなかったし、そのとき。だけど、ものすごい印象に残ってるんですよ」

   サバイバルとはどういう意味なのだろうか。久米も自民党から目の敵にされ、隙あらば引きずり下ろしてやろうという内外に多くの敵がいたことを指しているのか。

「『報道ステーション』をやってて、自分の感ずるところ、思うところをなかなか言えない。表の報道をしてて、裏の背景をあんまり言えない。これはさっきからずっと嘆いてますけど事実です。だけど逆から見ると、言えないのは僕に勇気がないからなんですよ。番組が今日で終わっちゃうとか、これを言ったらおしまいだなとか思ってるだけで。基本的にホントのことを言うと、世の中、糾弾されるじゃないですか」

   糾弾されてもいってくれよと思うのは、テレビを見ている人間の勝手な思い込みなのだろう。

「自分はもうこれだけやらせてもらっているから、べつに明日降ろされても幸せなしゃべり手人生だったと思えますからね。世の中ってうそ八百で成り立ってるし、ホントのところは新聞も雑誌もテレビも伝えないし、たまに言外に漂わせたり、におわせたり、スクープで追及したりってことはあっても、ほとんどがお約束で成り立ってるわけですね。プロレスですよ、世の中。完全にプロレスです」

   テレビの限界を知っているから、そこを壊すことなくちょこっと権力批判を織り込む古館の『頑張り』が目立つのだろうが、隔靴掻痒の感は否めない。

「でも、無理して10年やってきましたから、もうちょっと頑張りたいんですよね(笑)」

   古館が「テレビとおさらば」と決意する日はもうすぐ来る。そのときは思う存分胸の内をぶちまけテレビ批判をしてもらいたいものである。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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