奥尻島で起きた津波によって10歳で孤児となった花(山田望叶)は、遠い親戚の淳悟(浅野忠信)に引き取られ、北海道・紋別で一緒に暮らすようになった。時が経ち、高校生になった花(二階堂ふみ)と淳悟の乱れた関係を察知した地元の名士・大塩(藤竜也)は、幼い頃から花を見守ってきた親心から、花に淳悟と離れるよう説得する。流氷漂う海で大塩の遺体が発見され、淳悟と花は北海道を去っていく。
2008年に直木賞を受賞した桜庭一樹の同名小説を熊切和嘉監督が映画化した。モスクワ国際映画祭で熊切監督はグランプリ、浅野が最優秀男優賞を受賞した。
時系列逆転「桜庭一樹」小説 映画はどう描いたか
淳悟という粗野で孤独と淫靡が同居した男を演じた浅野忠信は、俳優として円熟期に入り、その魅力を存在感豊かに伝える。二階堂ふみの10代とは到底思えない妖艶な佇まいは、近親相姦というテーマに説得力を与えている。高良健吾、モロ師岡などの好演も見逃せない。
そして、大島渚監督の『愛のコリーダ』で主演を務めた藤竜也の起用は、近親相姦というテーマを扱うというタブーに挑戦するという意味合いではなく、『愛のコリーダ』を肯定し、タブーを犯してこそ映画であるという熊切監督の「挑発」であるだろう。とはいえ、濡れ場のシーンは、『愛のコリーダ』には到底及ばないことは述べるまでもない。
原作の小説は時をさかのぼる形で展開され、映画としては描きにくいところだが、花の幼少期を16ミリ、少女時代を35ミリ、東京に移ってからのシーンをデジタルで撮影することで、映画ならではの時間の流れ方を作り上げた。この「工夫」こそが映画の面白味だ。
「挑発」という意味合いでは、なにか「巧すぎる」という感覚が引っかかる。原作者はさぞ喜ぶだろうし、浅野忠信や二階堂ふみのファンには見やすい。安易に救いの手を差しのべない一貫性は熊切監督ならではの真摯な姿勢だ。
だが、原作を越え映画が独立していく昇華が今ひとつない。商業映画の難題であるのは承知だが、内面から「うなり」を上げて飛び出してくるような怒りを感じなかったのは、「タブーを打ち破る」というセンテンスが本質的には非商業性を孕んでなくてはならないはずであるし、タブーを打ち破るという商業性が熊切監督には至極似合わないからかもしれない。
丸輪太郎
おススメ度☆☆☆