全面禁止にしちゃどうか「国会・地方議会ヤジ」都議会ウヤムヤ幕引きではまたやるゾ!

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弾圧から25年目「天安門広場」公安警察と監視カメラだらけだった!少数民族の反乱におびえる習近平

   『週刊ポスト』のモノクログラビアページに、中国のトイレの小便器の上に日本の歴代首相の顔写真と名前が貼ってある写真が載っている。左から鳩山由紀夫、菅直人、小泉純一郎、野田佳彦、安倍晋三。ご丁寧に入り口には「靖国神社」と書かれているという。場所は「大虐殺記念館」のある南京から南西に50キロいった安徽省(あんきしょう)だそうだ。便所の落書きにしては念が入っている。

   私は先週末、北京に行ってきた。雨が多い時期ということもあるのだろう、心配していたPM2・5もなく、久しぶりの古都の青空は澄みわたっていた。北京には10数回来ているので、今回は名所旧跡は回らず、市内をバスと地下鉄を使ってブラブラ歩いた。SUICAのようなプリペイドカードを買うと、バスは0.4元(1元は約16円)だ。行く先の路線番号を確認しておけば、それほど待たずに乗れるし、ものすごい揺れを気にしなければ便利である。

   地下鉄も清潔でエスカレーターも完備し、ホームには開閉式のドアがついているから安心安全である。だが、改札をくぐる前に手荷物検査が必ずあるのが煩わしい。通勤時間帯などはただでさえ混み合うのに、手荷物検査で待たされるため、地上に人があふれてとても時間通りに会社に着けないそうだ。

   バスと地下鉄で若い女性に席を譲られたが気恥ずかしいものである。儒教教育が行き届いているため、若い人は乗車するとき、まず周囲を見回して年寄りがいないか確認してから空いた席に座るという。私が見るからに年寄り然としていたこともあるのだろうが、日本と違ってバスも地下鉄も年寄りの姿は少なかったから、私が目立ったのかもしれない。

   日曜日の夕方、天安門広場へ行った。1989年の「天安門事件」の前日に私はそこにいたが、日本で報じられているような緊張した雰囲気は感じられなかった。私が帰国した翌日事件は起きた。

   久しぶりに行った天安門広場でも入り口で手荷物検査をされ、広場のそこここに「公安」が鋭い目を光らせていた。警備が厳重なためだろう、休日だというのに人の数は少なかった。

   北京を数日ブラブラ歩いただけで、習近平政権が少数民族のゲリラ・テロを怖れていることがよくわかる。9・11以降、アメリカはイスラム過激派のテロに怯え、アメリカ人たちは海外に出ることをしなくなり孤立主義を深めていった。中国は虚勢を張ってはいるが、内心の動揺は街中に監視カメラと公安警察をあふれさせたことで見てとれる。

   紹興酒を飲みたくなって「咸享酒店」(北京市朝陽区北三環東路19号)へ行ってみた。ここは週刊現代の友人に教えてもらった店である。「紹興咸亨酒店」は中国浙江省紹興市にあり、文豪・魯迅の叔父が1894年に開業した造り酒屋と居酒屋である。魯迅は毎晩そこで紹興酒をどんぶりで飲んでいたという。

   そこの支店かどうかはわからないが、店は本店とは違った豪壮な造りのレストランである。紹興酒の種類はさすがに多く、10年ものを頼んだがとろけるようなまったりとした味わいの名酒であった。料理も酒に合うものがそろっており、値段もリーズナブル。紹興酒3本、料理をたらふく食って4人で約1万2000円ほどだった。北京ではなかなか飲めない紹興酒が飲める貴重な店である。

   タクシーに乗っても、盛り場や下町の地元民が飲む屋台でも、いつものように愛想はよくないが、反日らしい素振りをされたことはなかった。日本人の旅行者はやはり少ない。行きも帰りもJAL便だったが、とくに帰りの飛行機はがらがらだった。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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