勝又拓哉の義父 事件翌月に警察に通報「息子が怪しい。あいつは何するかわからない」

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「あの子は激昂すると、自分を抑えられないタイプの人間だった。何をするかわからない、怖さがあった」

   栃木県の女児連れ去り殺害犯・勝又拓哉容疑者の義父はこう話す。近所の住人やかつての同級生は「好青年だった」「いつも母親の仕事を手伝い、その時はニコニコしていた」と語るが、別な顔があったのだろうか。

「中学を卒業して旅館で働き出したが、3日で帰された」

   義父はこう語る。「中学を卒業して旅館で働き出したことがある。でも、それまでの生活が昼夜逆転の生活だったので、働き出しても昼間は寝てばかり。旅館から3日で帰された。そのあとは何もしていない。週末になると母親の仕事を手伝っていたが、あとはブラブラしていた」

   高村智庸リポーター「彼はナイフの収集をしていました。義父があるとき、容疑者の車に乗ると、刃渡り20センチぐらいのナイフが車内にあったそうです」

   司会の羽鳥慎一「部屋代や生活費はどうしていたんでしょうか」

   高村「母親が渡していたようです。それで、生活にはあまり困らないでいたようです」

   実は、義父は事件があった2005年12月の翌月、警察に息子の行動が怪しいと連絡していた。高村によると、義父は「電話はしたよ。でもその後、警察がどう動いたかはわからない。ただ、電話してから2、3年後に刑事が2人やって来て、息子に話を聞いていた」と話したという。

文   ナオジン| 似顔絵 池田マコト
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