原発止まってるから貿易赤字拡大!?火力発電燃料の輸入増えてないし、電力会社つぶれても電気は止まらない

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福井地裁「大飯原発再稼働差し止め判決」週刊誌の評価は賛否二分

<本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失である。
   原子力発電所の稼働は法的には電気を生み出すための一手段たる経済活動の自由に属するものであって、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきもの。大きな自然災害や戦争以外で、人格権という根源的な権利が極めて広汎に奪われる事態を招く可能性があるのは原発事故のほかは想定しがたい。
   このような危険を抽象的にでも伴う経済活動は憲法上容認できないというのは極論に過ぎるとしても、少なくとも具体的危険性が万が一でもあれば、その差し止めが認められるのは当然。具体的危険性が万が一でもあるのかが判断の対象となるべきで、この判断には必ずしも高度な専門技術的な知識、知見は必要ない>

   これは『週刊文春』の「大飯原発差し止めは司法の暴走だ!」に載っている福井地裁・樋口英明裁判長が下した「大飯原発差し止め訴訟」の判決の大意である。福島第一原発事故以来、初めて原発の運転再開を認めないという画期的な判決がでたが、当然ながら週刊誌でも反対・賛成派に二分された。週刊文春はタイトルからもわかるとおり反対派ではあるが、論調はそれほどきつくはない。判決を出した樋口裁判長に対して、ベテラン司法記者にこう批判させている。

<「裁判官が『国富』とは何ぞや、という点についてここまで情緒的に書くとは驚きです。この判決文を書いた樋口裁判長は、昨年(2013年)七月の福井県議会の政務調査費を巡る住民訴訟でも、住民側勝訴の判決を出すなど、ややリベラルな傾向のある人物として知られています」>

   裁判官がリベラルであってはいけないのか。次に大阪大学名誉教授で原子力工学が専門の宮崎慶次氏に、この裁判官は科学的知識がないと批判させる。<「原子力規制委員会の議論とは別に、司法が独立して判断を下すことはあってもいいと思います。しかしながら、そうした判断を下すのであれば、もう少しよく勉強してからでないといけません。

   一例を挙げれば、大飯原発は加圧水型で、沸騰水型だった福島第一原発とは仕組みが違う。外部から冷却することは比較的容易です。また格納容器の大きさも十倍ほどあり、水素爆発の可能性もかなり低くなる。こうした事実を一つひとつ確認し、リスクがどれだけあるのか、科学的な議論をしないといけない。

   あの判決が通るなら、『万が一の危険があるから、日本中の原発はすべてダメ』となってしまい、まったく科学的ではありません。残念ながらあの判決は、素人が下した無見識、無謀な判決と言わざるを得ません。あのような判決がまかり通れば、司法の威信が崩壊する恐れすらあります」>

   批判になっていない批判としか私には思えない。週刊文春は今回の判決を受けて、同誌のメルマガ読者を対象にアンケートを行ったという。原発再稼働に賛成ですか反対ですかという問いに、賛成が53.54%、反対が46.46%と、僅差で賛成が上回ったそうだが、週刊文春の読者にはもともと再稼働賛成派が多いはずだから、それでも僅差ということはいわずもがなであろう。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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