非正規雇用で不安定な気持ちの人を大量生産
これだけでは無差別殺人に走った動機はわからないが、通信制の高校に移ったころに何かがきっかけで大きな心境の変化があったのだろう。ジャーナリストの岩上安身は次のように見ている。「『殺すのは誰でもよかった』という言葉は、24歳の男性のオリジナルの言葉でないと思います。これまで数々の無差別殺傷事件があるが、犯行に及んだ人たちが必ず言っていた言葉です。
この一報を聞いてふと気づいたのですが、1970年代末からこういうのが出始め、景気の良くなった80年代から90年代後半までパッタリ止むんです。そして、金融恐慌の97年以降ドッと増え、08年のリーマンショックで激増する。経済状況とパラレルな関係にあって、経済・社会全体が冷え込むと、末端で働いている人、報われない人が影響を受けやすいということですね。
おそらく、無差別に誰でもいいから殺したいという人は孤立していた人たち、人との関わりが十分持てなかった人たちではないですか。考えなければいけないのは、雇用環境が不安定ということが社会を非常に流動化させてしまうこと。昨年4月、政府の諮問機関である規制改革会議の雇用ワーキンググループで、委員の東大の先生が『これからの日本社会は9割を非正規にして1割だけ正社員にし、流動化したほうがいい』と言っていましたが、これでは不安定な気持ちを持った人たちを大量生産する社会になってしまう。
単に企業にとって使い勝手のいい人材だけでいいというドライな考えは、一人ひとりに不安や孤立をもたらし、捨て鉢な行動をとらせる。上の人も考えなければいけないと思います」
この指摘には共感する。派遣社員を製造業に導入した結果、若者の路上生活者が増え、餓死者まで出した記憶は生々しい。経済成長イコール雇用の流動化とばかり、いまだに机の上で人材の効率化ばかりを考える手合いが上にいては、この種の事件は終わらないだろう。