東京・渋谷駅前の「忠犬ハチ公」像が「2代目だったと知ってましたか?」(森圭介アナ)という。その初代の原型が見つかったのだという。初代のハチ公像は戦時中に献納され、いまあるのは戦後に作られたものだ。初代を作ったのは彫刻家の安藤照さんで、アトリエにハチ公を連れてきて作っている写真が残っている。2代目は照さんの息子の彫刻家・士(たけし)さんが作った。ここまでは昔の人はみな知っていた。
像は戦争中に鋳つぶされ機関車の部品に
安藤さんは空襲で亡くなり、初代の原型ほかの資料も焼けてしまい何も残っていない。士さんは2代目を「記憶をたよりにイメージして」作ったとされる。むろんハチ公の写真はたくさん残っているが、父親の作った像そのものも写真で見るしかなかったわけだ。
その原型が残っていた。渋谷区郷土博物館の調査で、照さんの知人(子孫)宅にあることがわかったという。高さは24センチの石膏像で、台座に右書きで「忠犬ハチ公」とあり、照さんのサインもある。見たところ、2代目よりは荒削りだが、左耳がつぶれていたというハチ公の感じはよく出ている。
初代は1934年(昭和9年)に作られ、44年(同19年)に撤去されたから、わずか10年の命だった。その後、鋳つぶされて機関車の部品になり、東海道線を走っていたというから、お国の役にたったわけだ。
忠犬といわれてからも哀れな晩年…行き倒れ胃から焼き鳥の串
とはいえ、飼い主が死んだことも知らずに毎日駅に迎えに行っていたハチ公は、忠犬といわれたあとも必ずしも安穏な日々ではなかった。最後は行き倒れて死んだ。解剖したら、胃袋から焼き鳥の串が出てきた。どこまでも哀れな話である。
キャスターのテリー伊藤「いろんな話があるんだねぇ」
渋谷区郷土博物館・文学館はあす19日(2014年4月)からの企画展で、この原型像を展示する。ハチ公「本人」は上野の国立科学博物館で剥製になっている。