いわゆる「袴田事件」難逃れた橋本さん一家長女…もう一人の冤罪被害者
袴田巌さんの再審請求開始が認められ、実に48年ぶりに東京拘置所から袴田さんが釈放されたが、いわゆる「袴田事件」の被害者一家で生き残った長女のたどった数奇な運命を週刊新潮と週刊文春が報じている。週刊新潮で見てみよう。
<事件が起こったのは、1966年6月30日。殺されたのは、みそしょう油製造業「橋本藤作商店」専務の橋本藤雄さん(41)、妻のちゑ子さん(39)、長男の雅一郎君(14)、次女の扶示子さん(17)の4人である。(中略)
事件の数年後、放火された家の跡地に新たに一軒家を建てて暮らし始めた女性がいた。殺された橋本藤雄さんの長女、橋本昌子さんだ>
昌子さん(67)は少し離れたところにある祖母の家で生活していたため、難を逃れたそうだ。事件後、昌子さんは家を離れていたが、元従業員と結婚して戻ってきたという。だが、その夫にも先立たれ一人暮らしだった。事件のショックのせいか、近年はこんな様子だったと、近所の古老が話している。
<「昌子さんは年を追うごとに精神的に不安定になっていたようです。ブツブツと独り言を口にしているのよく見ましたし、立ち止まって地面をジーッと見つめていることもあった。本当にかわいそうでした」>
そして袴田さんが48年ぶりに東京拘置所から釈放された、その翌日の28日に橋本昌子さんは自宅で変わり果てた姿となって発見された。静岡・清水署によれば事件性はないとしているというが、彼女は再審請求が認められたという報道をどんな思いで聞いたのであろうか。2004年8月、東京高裁で再審請求を退ける決定が出された際、毎日新聞の取材に答えて、昌子さんはこう話している。
「当然だと思う。これだけ年月が経ってから(袴田死刑囚とは)違うと言われたらかなわない」
身内を殺された彼女の偽りない気持ちであろう。えん罪は無実を訴え続けた死刑囚を長年苦しめたが、被害者の遺族も苦しめてきたのである。えん罪を作り上げた警察官、検事、裁判官たちは、この可哀想な長女の死をどう思うのか、聞いてみたいものである。