2009年の元日、新年を祝う人々であふれるサンフランシスコ「フルートベール」駅のホームで、22歳の黒人青年オスカーが警官に撃たれ死亡した。多数の目撃者がいて、全貌を携帯電話のカメラで撮影した者もいたので、「事件」はたちまち全米中に伝えられ波紋を呼んだ。
なぜこのような事件が起こったのか。彼が事件に巻き込まれるまでを描き、ネットやニュースでは伝わらない領域に肉薄していく。オスカーを『クロニクル』などのマイケル・B・ジョーダンが演じ、オスカー受賞者のオクタヴィア・スペンサーとの共演を果たしている。監督はこの映画が長編デビュー作となった新鋭ライアン・クーグラーだ。
加害者を避難するだけではなくならない社会構造としての差別
社会問題を扱う作品は切り口によって実際に起きた事柄の見え方が変化するが、この映画は極めてクールに事件を捉えている。オスカーを撃った白人警官を加害者とも描かず、オスカーを被害者として描いていない。むしろ、生前のオスカーが麻薬の売人をして逮捕されていたことや、勤務先のスーパーマーケットを遅刻を理由に解雇されていたことなどを描いていく。それでも幼い娘を養うため必死に生き、明るい兆しが見え始めた新年、事件が起きる。
オスカーの日常を淡々と描くことにより、われわれと同じ「一市民」であるという親近感を覚えるが、オスカーがすでにこの世を去ってしまっていることで寂しさを超え憤りを超え、「回避できない現実」も同居している。
オスカーを撃った警官が逮捕されていることから、この事件は警官に非があるのは事実である、加害者を直接的にも間接的にも糾弾するような映画も山ほどある。この映画は「差別」がこの世から早急にはなくならないという認識の上で撮られている。それでは救いがないという方もいるだろうが、事実、この事件は長年続いてきた差別意識がもたらした悲劇なのだ。
日常を淡々と描き、事件の根底にある人間が作り出した「回避できない現実」を映し出した製作側の姿勢は、オスカーに対する敬意と言えよう。差別撤廃のシンボルとして正面切って糾弾するより、差別が存在する世の中で「まとも」ではなかったかもしないが必死に生きた黒人青年の「ありのまま」を映すことが、どれほど愛おしいことだろうか。
丸輪太郎
おススメ度☆☆☆☆