袴田事件30年かかった「再審決定」釈放!裁判官の怒り「証拠捏造、正義に反する」

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   1966年、静岡で一家4人が殺害された事件で、死刑が確定した袴田巌死刑囚(78)の第2次再審請求に、静岡地裁はきのう27日(2013年3月)、再審開始を認めた。DNA鑑定から「捜査機関による証拠ねつ造」の疑いが出たためで、裁判長は「拘置続行は正義に反する」と袴田さん釈放も決めた。逮捕以来、実に48年ぶりだ。

   東京拘置所を出る袴田巌さんの足取りはしっかりしていた。傍らに付き添う姉の秀子さん(81)は満面の笑みを浮べていたが、当の巌さんの目はうつろ、表情もない。釈放を伝えたときも「うそだろう?」と言ったそうだ。

一審死刑判決の裁判官「本当は無罪だと思った」

   清水市(現静岡市)の味噌製造会社の専務宅が放火され、焼け跡から一家4人の刺殺体が見つかった。住み込み社員だった袴田さんが逮捕され、取り調べ段階でいったん自供したが、裁判では一貫して無罪を主張し続けたものの、80年に最高裁で死刑が確定した。81年に第1次の再審請求がなされたが、最高裁が棄却したのは27年後の2008年だった。

   無実を信じてほぼ半世紀、再審を求め続けてきた秀子さんは月に1度拘置所を訪れてきたが、ここ3年半は巌さんが面会を拒んでいた。68年に母親が亡くなり、きょうだい4人も亡くなり、いまは2人だけだ。

   巌さんは母親に宛てて「僕は犯人ではありません」と繰り返し手紙を書いていた。3000通を超えるという。07年に死刑判決を出した元裁判官は「無罪だと思った」と告白した。大きな転機だったが、これを伝えても巌さんは「きょとんとしてました。反応がなかった」

   すでに精神を病んでいた。拘禁症状だ。認知症もあるという。

文   ヤンヤン| 似顔絵 池田マコト
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