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共産党のマスコット吉良佳子参院議員「駅中キスとお泊り愛」でピンクに染まった夜

   さて、そのブラック企業を許さないという公約を掲げて初当選した共産党の星・吉良佳子参院議員(31)が、人前をはばからず男とキスをしまくっていると週刊新潮が嫌味たっぷりに報じている。

   まずは3月21日、春分の日。午後10時30分、東京・池袋駅の地下鉄ホームでのこと。<電車がホームへと滑り込んでくる。別れの時が近付いていた。2人の距離は、電車が速度を落とすのと反比例して急速に縮まっていく。70センチ、30センチ、10センチ。あたかも強力な磁石のように引き寄せられる2人。(中略)

   先ほどまで吉良議員が着けていたマスクは外されていた。そして次の瞬間、2人の距離は0センチとなり、公衆の面前で唇が重なり合ったのである。(グラビアページにこのときのシーンがばっちり『特写』されている=筆者注)

   清廉潔白を旨とする共産党の吉良議員が繰り広げた、めくるめく官能の世界。同党のジャンヌ・ダルクとして「ブラック企業」を舌鋒鋭く追及してきた彼女が、あろうことか妖しく「ピンク」に染まっていた。

   男性が電車に乗り込もうとしても、吉良議員は左手を最後まで彼の右手から離そうとしない。片時たりとも離れ難く、「永遠の0センチ」を求めているといった様子で……>

   吉良議員は東京選挙区で当選を果たしたが、同区で共産党が議席を獲得したのは実に12年ぶりである。選挙戦では彼女の写真集が発売され、当選後も東京・杉並区のイベントスペースで彼女のファン感謝祭が開催されたほどの人気者である。党のマスコットガールとして珍重され、彼女に対する期待の表れからか、当選から8か月の間に、吉良議員は10回超も国会質問に立っている。

   先の駅中キスから2週間前の3月7日には、新宿の天ぷら屋で夕食を済ませた吉良議員と件の男性は、一緒に彼女の自宅マンションへ消えて行き、2人がマンションから出てきたのは翌8日の昼だったという。男性はいわゆる「お泊まり」したのだ。ほかの日にも二人のキスシーンを目撃しているから、週刊新潮側の執念は生半可なものではない。週刊新潮曰く「共産党議員ならではの革命的接吻と呼ぶべきなのか!!」

   この男性はどういう人物なのか。共産党の事情通がこう話す。<「吉良さんのお相手は、彼女と同じ年生まれの共産党員で、眼鏡をかけた姿はお笑いコンビ、オリエンタルラジオの藤森慎吾をまじめにした感じです。2011年に目黒区議選、昨年は都議選に出馬し、いずれも落選していますが、今も共産党の目黒地区委員会の青年学生部長を務めている熱心な活動家」>

   ご丁寧に元共産党国会議員秘書で、同党研究家の兵本達吉氏にこう語らせている。<「共産党において、男女関係の乱れは資本主義的な頽廃と見みなされます。しかも、国会議員は党員の模範となるべき立場にあり、人目も憚らずキスするなど言語道断です。(中略)党の名誉、信用を傷つける行為に、共産党はとにかく厳しいですからね」>

   週刊新潮は共産党や創価学会になると追及の手を緩めない。この男性にインタビューしてこういわせている。<「プラトニックな関係なんです。お泊まりしたことはありません。3月7日ですか? えー……はい、泊まりました」>

   吉良議員には彼と駅付近で「キスの乱れ打ち」をした直後に声をかけているが、電車に飛び乗って「逃走」したそうである。

   さすが『フォーカス』直伝のいいキスシーンである。両方とも独身なんだからビクビクすることはないよと、吉良議員に声をかけてあげたくなる。それにしても最近の『フライデー』はどうしこういう写真が撮れないのか。言っても詮ないがね。

元木昌彦プロフィール
1945年11月24日生まれ/1990年11月「FRIDAY」編集長/1992年11月から97年まで「週刊現代」編集長/1999年インターネット・マガジン「Web現代」創刊編集長/2007年2月から2008年6月まで市民参加型メディア「オーマイニュース日本版」(現オーマイライフ)で、編集長、代表取締役社長を務める
現在(2008年10月)、「元木オフィス」を主宰して「編集者の学校」を各地で開催。編集プロデュース。

【著書】
編著「編集者の学校」(講談社)/「週刊誌編集長」(展望社)/「孤独死ゼロの町づくり」(ダイヤモンド社)/「裁判傍聴マガジン」(イーストプレス)/「競馬必勝放浪記」(祥伝社新書)ほか

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