都築響一『独居老人スタイル』に素敵なフレーズ「年齢だけちょっと多めの元気な若者」
今週も「STAP細胞疑惑」の小保方晴子さんについての記事は多いが、内容的に新味がないからここでは紹介しない。
この歳になると命のはかなさを思わない日はないが、つい先日もこんなことがあった。3月14日に銀座のブロッサムで立川志らくさんの落語会があったので聴きに行った。私の列には作家の嵐山光三郎さんがいて、その隣がイラストレーターの安西水丸さん(71)だった。安西さんとは嵐山さんを通じて多少知った仲だから、中入りの時に二言三言話をした。安西さんは席を立たなかったが、2時間、志らくさんの落語を楽しんでいるように見えた。その安西さんが17日に自宅で倒れ、19日に亡くなってしまったと聞いてショックだった。
話は変わるが、けさ27日(2014年3月)の朝日新聞朝刊に、作家の高橋源一郎氏の「論壇時評」が載っている。その中で都築響一氏の本『独居老人スタイル』を紹介している。
<描かれている、「ひとりで生きる」老人たちの生活は、読む者を驚かす。半世紀近くも、ビル掃除の仕事で生活費を得て、誰にも見せず、誰からの影響も受けず、自分だけの絵を描き続けてきた人。閉館した映画館を再開の見込みもないままひとり、仕事のかたわらメンテナンスし続け、退職してからは、気の向いた時だけ上映会を行うようになった人。経済的には恵まれているといえない老人たちの暮らしは、不思議な幸福感に満ちている。都築は、こう書いている。
「そういうおじいさんやおばあさんは、だれもたいして裕福ではなかったけれど、小さな部屋で、若いときからずーっと好きだったものに埋もれて(それが本だろうがレコードだろうが、猫だろうがエロビデオだろうが)、仕事のストレスもなく、煩わしい人間関係もなく、もちろん将来への不安もなく――ようするに毎日をものすごく楽しそうに暮らしてる、年齢だけちょっと多めの元気な若者なのだった」
都築の「年齢だけちょっと多めの元気な若者」が、最後に手に入れたのは「自由」だったのかもしれない。では、ほんものの「若者」たちは、なにを手にすることができるのだろうか>
年齢だけちょっと多めの元気な若者といういい方が素敵だが、これを読んで、私は毎日自分の好きなことをやって楽しく暮らしているのかと自問してみた。少しばかりの自由は手に入ったが、それを使って日々楽しんで暮らしているのだろうか。否である。さっそくこの本を手に入れて、自分のしたいことを思う存分悔いのないように生きてみよう。そう思った。そうすれば「夕に死しすとも可なり」という心境になれるかもしれない。