Nスペ美談「震災がれきでヴァイオリン」また捏造!?製作者に経歴詐称、デキ悪い楽器
佐村河内守氏の例に見るように、美談が『捏造』され、それを検証もせずにメデイアが囃し立てるケースはこれまで幾度もあったが、今週も週刊新潮が「震災ヴァイオリン」もそうだという記事をやっている。引用する。<震災ヴァイオリンの製作者である中澤宗幸氏(73)は、そこに至るまでの経緯を自叙伝「いのちのヴァイオリン」(ポプラ社ノンフィクション=筆者注)にこう記している。
「陸前高田という海辺の町の映像がテレビで流れました。もともと海岸線に美しい松林があった景勝の地です。津波で松林も町の家いえも流されてしまいました。一本の松だけが残り、『奇跡の一本松』としてしきりに映像が流れていましたから、知ってる人も多いでしょう」
さらに、こう続く。「そのとき、妻がいったのです。『あれは瓦礫なんかじゃないわよね。人が生きてきた歴史であり、思い出そのものなのよ。ねぇ、お父さん、あの木からヴァイオリンをつくれないかしら』と。わたしは壊れて流木となった家屋の木材を使ってヴァイオリンをつくろうと心に決めました」
中澤氏が震災ヴァイオリンの制作に着手したのは、震災のあった11年の暮れも押し迫った頃だという。追悼式までの約3か月の間に、ヴァイオリンを1挺完成させると、その後も3挺のヴァイオリンと2挺のビオラ、チェロも1挺製作したそうだ。
<瓦礫から鎮魂の響きを奏でる楽器を誕生させたという美談は「NHKスペシャル」をはじめ、テレビや新聞などに繰り返し取り上げられ、復興のシンボルに祀り上げられた」(週刊新潮)
そして、震災ヴァイオリンの初お披露目は、東日本大震災から1年経った2012年3月11日、岩手県陸前高田市で行われた追悼式だった。被災遺族らを前に、89歳になる現役最高齢のヴァイオリニスト、イヴリー・ギトリスによって鎮魂の曲が演奏されたというのである。
だが、その中澤氏にまつわる「噂」は決してよいものではないと週刊新潮は書く。<「業界内では中澤さんのことはハデな取引をするディーラーとの認識はありますが、修復や鑑定の腕前を耳にしたことはありません」
そう語るのは日本弦楽器製作者協会の幹部だ。
「メディアでは中澤さんの言うことを鵜呑みにして『ストラディヴァリウスの修復・鑑定の世界的第一人者』などと持て囃している。その言葉自体、素人ではないかと疑わせるものです」>
ストラディヴァリウスは600挺ほど現存するが、すべて鑑定作業は終わっているので、改めて中澤氏が鑑定する必要はないというのである。私もストラディヴァリウスについては若干知っているが、彼のいうとおりであろう。
中澤氏は1980年に東京の高田馬場に「ヒル商会」という店を立ち上げた。これはロンドンの名門工房であるヒル商会で修行したことがあるからつけたのだと周囲に語っていたが、ロンドンのヒル商会がそれまで1人の日本人も雇い入れていないことは、当時、業界内では周知の事実あったという。また、ヒル商会で働いていた元従業員は「中澤さんはセールスに奔走していたので、ヴァイオリンそのものを製作する姿は一度も見たことがない」と話している。
では、その腕前はどうなのか。実際に震災ヴァイオリンを弾いたことのあるプロの演奏家はこう語っている。<「震災ヴァイオリンのクオリティは決して高くはない。例えば、弦を押さえる指版の位置が低すぎるうえに、その表面がガタガタの状態で、なかなか音を安定させられないのです。楽器としての質だけを判断するなら、その出来は褒められたものではありません」>
中澤氏は週刊新潮の取材に対して、経歴詐称疑惑についてはあっさり「実際に修行はしていませんし、周囲にそう語ったこともない」と答えている。
このケースを佐村河内と同じように「捏造された美談」と切り捨てることはできないだろう。ヴァイオリン製作の腕はよくないようだが、瓦礫を使って自らヴァイオリンをつくったのは確かなようだからだ。私は聞いていないからわからないが、震災ヴァイオリンの奏でる音はストラディヴァリウスとはほど遠いものであったのだろうが、集まった人たちに震災のあの日を思い起こさせるのには十分な音色だったのではないか。
日本人だけではないのかもしれないが、モノに付随する物語のほうに重きを置く傾向が強すぎるため、それを利用して知名度を上げ、カネに結びつけようとする輩が排出するのである。メデイアはもっと自分たちの目と耳を磨く必要がある。自戒を込めてではあるが。