スノボー「銀」の竹内智香「一度休んで頑張れると思ったら4年後の金目指す」

全国の工務店を掲載し、最も多くの地域密着型工務店を紹介しています

   ソチ五輪に参加した日本代表選手139人が25日、チャーター便で帰ってきた。メダルを勝ち取った人、緊張で取れるはずのメダルを逃した人、力不足を痛感した人など悲喜交々の思いを込めた帰国だった。

   そのなかで「金メダルが取れなかったのは悔しい」と、銀メダル獲得しながら今も悔やむスノーボードパラレル大回転の竹内智香(30)が生出演した。

スイスで一人武者修行「夜はドイツ語の猛勉強」「昼はスノボー三昧」

   竹内にとってソチ五輪は4度目の挑戦だった。ソルトレーク五輪に18歳の高校生で出場したときは22位、トリノ五輪では9位。「日本の環境ではトップになれない」と選んだのが海外での武者修行だった。

   司会の井上貴博アナ「海外の強豪チームに頼んだそうですね」

   竹内「母国を強くするためのナショナルチームで外国人を受け入れる場所ではないと断られました。それは当たり前のことで、受け入れてくれたスイスには感謝しても感謝しきれません」

   スイスで夜はドイツ語の猛勉強、昼はスノーボード技術の習得に明け暮れて5年がたった。「日本の環境の良くなさとか不満はあったのですけど、コーチに日本に帰ろうと言われて帰ったところ、すごく応援されていること、組織に支えられていることを知って、ここを頼っていいんだと思いました。一人でスタートに立っている気がしなくて、楽しくて楽しくてしょうがないオリンピックでした」

「最後の2年間は金メダルが見えてきて、取るために準備をしてきて、ぴったりピークも環境も良い状態でスタートさせてもらえました。4年に1回のチャンスを使い切りたかったんです」

かつて語っていた「一番でなければすべて負け。何番でも一緒」

   かつて竹内は「一番でなければすべて負けで、何番になっても一緒だと思う」と涙を流したことがある。今後の目標についてはこう語る。「金メダルが欲しい気持ちが今でも強いですね。4年後を目指すのはすごい覚悟がいるが、まずは一度休んで、もう1回目指して頑張れるとなったときは全力で頑張りたいと思います」

   銀メダルを勝ち取ったのも既存のレールに乗ってコーチに叱咤激励されたのではなく、知らない外国でたった一人でゼロからドイツ語を独学で学び、技術を修得して金メダル獲得に近づこうとする熱意、努力があったからだ。何かを成し遂げるには、そうした自ら培う精神力の強さが必要なことを彼女は教えてくれた。

文   モンブラン| 似顔絵 池田マコト
姉妹サイト