スキーハーフパイプ「小野塚彩那」メダルとっても飄々「県大会にでも出てる感じ」(新潟の叔父)

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   ソチ五輪から新種目となったスキーフリースタイル女子ハーフパイプ決勝で、小野塚彩那選手(25)=新潟・南魚沼市出身=が銅メダルを獲得した。これで日本勢のメダル数は長野五輪の10個に次ぐ8個となった。

   小野塚は決勝1回目は最初のエアでミスがあって79.00点だったが、2回目で修正して得意の高さで83.20点を出し3位となった。1位は89.00点をマークしたアメリカのボーマン、2位は85.40点のフランスのマルティノだった。

小学生の時からアルペン競技の有名選手!五輪出たいと転向

   2歳からスキー板を履きゲレンデを走り回ったという小野塚は、もとはアルペン競技が専門の選手で、小学生のときから数々のアルペン競技会に出場して好成績を挙げていた。それがスキーフリースタイル女子ハーフパイプに転向したのは、2011年に五輪の正式種目になったからだった。

   小野塚はメダルが決まると、日の丸をマントのように羽織って、目にはちょっと涙を浮かべていた。「信じなれない気持ちと、マジかみたいな気持ちと、本当に取っちゃったんだなという気持ちと、やったぞうという気持ち、3位で悔しい気持ちなど、いろんな思いが入り混じって結局は嬉し泣きしてしまいました」と語る。

   種目転向に迷いはなかったのか。「転向したのは単純に五輪種目になったからです。その時はすごい決断をしたと思ったが、いま思えば転向してよかったとおもいます」

「気負いはありませんでした」普段のままの滑り

   井上貴博アナが新潟で応援していた叔父の小野塚真さんに電話で聞いた。

「競技を終えた後のインタビューで、『気負いはありませんでした』と話していて、飄々としたところが印象的です。普段からこんな感じなんですか」

   真さん「県の大会に出てたのと五輪に出たのと変わらない感じで、こちらもびっくりしているんです。決勝スタート前と1本目を滑り終えてからテレビ電話で連絡をくれました。普通に連絡くれる感じだったのでびっくりしました」

   初代メダリストのなった興奮もなく、飄々としてられるのは重力に反して宙を飛んでばかりいるせいか。

文   モンブラン| 似顔絵 池田マコト
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