アルペンで日本女子初のメダル!スノボー竹内智香4度目の五輪「遠回りしてきた」

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   日本ではあまり話題にのぼっていなかったが、ソチ五輪スノーボード女子パラレル大回転で、アルペン系種目で日本女子のメダル第1号が飛び出した。竹内智香選手(30)の銀メダルで、五輪4度目の出場だが、強豪のスイスチームの練習に参加するなど並々ならぬ苦労と努力で勝ち取ったメダルだった。

スイス代表チームでトレーニング、自作のボード、筋力トレ…

   スノーボード・パラレル大回転は、29の旗門が設置された全長650メートルのコースを滑降する競技で、2人ずつ2回滑って合計タイムを競う。トーナメント方式で予選から決勝までは10回滑ることになるので、滑降の技術ととともに体力が要求される。

   竹内がスノーボードを始めたのは中学のころだ。2002年、高校3年生のときソルトレーク五輪に出場したが予選敗退だった。2006年のトリノ五輪では9位に入るが、メダルはまだまだ遠いと思い知らされた。その悔しさから、世界に通用する力をとスイスのナショナルチームへの参加を試みる。他国の選手に力を貸せないと断られたが、何度も頼みこんでようやく許された。しかし、世界トップクラスの技術を学んで臨んだ2010年のバンクーバー五輪では、13位に終わった。

   次のソチをめざし、練習の拠点を日本に戻して2つの取り組みを始める。ひとつは体力づくりだ。走り込みや筋力アップに取り組んだ。もうひとつはボードの改良だ。自ら構想や設計段階から加わり、工場と何度もすり合わせをして納得のいくボードを作り上げた。こうした成果が4度目の五輪で花開いた。

1956年猪谷千春以来のメダル!「でも4年後の金目指します」

   優勝をかけた決勝戦は1回目にわずかにリードしたが、2回目に転倒、あと1歩で金メダルを逃した。とはいえ、スノーボード日本女子では初の快挙だ。いや、アルペン競技で日本人女子のメダリストは初めて。日本アルペン界でも1956年の猪谷千春選手以来のメダルだ。竹内は「次の世代が私のように遠回りするのではなく、世界のトップに来てくれたらいいなと思います」と喜びとともにメダルの意義を語った。

   コメンテーターのおおたわ史絵(内科医、執筆家)「スノーボードって、オリンピックでは比較的若い競技じゃないですか。でも、選手にはすごい歴史と苦労があるんですね」

   現地で取材した田中毅アナウンサーは「この競技はヨーロッパでは花形種目のひとつなんです。見た目もわかりやすく、会場はすごく盛り上がります」と伝える。竹内の今後について、「ご本人は30歳ですが、これを最後にするつもりはないとおっしゃっていました。4年後さらに成長していい色のメダルを目指したいということでした」

   五輪にはメダルだけでは測れない、それぞれの人生がある。

文   一ツ石
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