上村愛子「最後の1段が高かった」今季から変わったベース点に対応できず4位

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   司会の小倉智昭が「オリンピックでメダルをとるのは本当に難しい」という。彼がメダルを予想したスノーボードがダメだったほか、日本時間のけさ10日(2014年2月)行われたフィギュアスケート団体男女のフリーもいまひとつで5位に終わったからだ。難しさをもっと実感しているのはモーグルの上村愛子 (34)だろう。五輪5度目の挑戦でメダルに手が届かなかった。

「女子モーグル決勝」米カーニー乱れてたのに銅メダル

   女子モーグル決勝は6人で争われ、上村は1番目に滑ってガッツポーズでゴールした。最後の選手ハナ・カーニー(米)を残して上村は3位だった。カーニーは第1エアの後ちょっと乱れて、だれもが「上村勝った」と思ったのだったが、その後は立ち直って3位。無情にも上村はまたも4位に沈んだ。

   最後の滑りを終えて、上村はゴーグルをはずして涙を拭いていた。「もう全部終わったと、点も見ずに泣いていた」と笑顔で話した。滑りには満足していた。観客席の母・圭子さんにも声をかけた。「がんばったね。すごいよかった」と圭子さんも笑顔だった。

   バンクーバーで4位になったとき、「なんでこんな一段一段なんだろう」と悔しがったのを日本中が覚えている。16歳で五輪初出場となった長野で7位。このときの金メダルが里谷多英だ。里谷はこのあと、ソルトレイクでも銅メダルをとったが、上村は6位、5位、4位と一段づつだった。

   30歳になって上村は休養した。スキーと無縁の生活を送った1年余り、考えることは「メダルをとれない理由」ばかりだった。当時、「楽しめなくなっていた。ソチでは『自分でやりたい』と思ってやる方がいい時間になる」と話していた。

   2011年4月、復帰宣言してソチを目指した。夫・皆川賢太郎(アルペン元五輪代表)の支えで肉体改造に取り組み、この3年でワールドカップ優勝もした。しかし、五輪のメダルだけはついに微笑んでくれなかった。

今年の主流は雪面からスキー板離さないスライドターン

   スタジオには里谷多英がいた。上村の滑りに「メダルをとれたと思ったんですがね」という。ただ、「たぶんターンのベース点というのが決められていて、彼女のベースが今年の主流とちょっと違って、少し低めに設定されていたというのが一番の理由ではないでしょうか」と意外なことをいう。

   小倉「ベース点?」

   里谷「ベース点から減点していくんです。スタートから第1エアまでの滑りで、この選手は何点とベースを決める」

   よくわからない。今年はアメリカ、カナダの選手のようなスライドしても体が安定しているようなターンが主流で、その方が点が高かった。ターンの得点配分は50% を占める。ターンでは上村は4位だった。

   これについて上村は、「今の主流は板がずっと接雪していると高得点。わかっていたけど、カービングターンをスライドターンにできなかった」と話している。たしかに上位の選手と較べると、上村のスキーははね上がっていた。里谷は「わかっていたが変えなかった。滑りは立派だった」という。

   上村はこのあと3月末まで、ワールドカップ4戦、最後に全日本選手権がある。小倉は「本当にお疲れさまといってあげたいですね」と締めた。

文   ヤンヤン| 似顔絵 池田マコト
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