耳は聞こえ、楽譜は書けず、ピアノも弾けない…
新垣氏はお金とか名声がほしくて引き受けたのではなく、自分が作曲した音楽を多くの人に聴いてもらえることが嬉しかったからだと動機を語っている。新垣氏は自分たちを「天才的な大馬鹿コンビ」と自嘲していたというが、まさに奇跡の出会いだったようだ。
楽譜の書けない佐村河内氏は細かい「構成図」を書いて新垣氏に渡したという。週刊文春によればこうだ。<「中世宗教音楽的な抽象美の追求」「上昇してゆく音楽」「不協和音と機能調整の音楽的調和」「4つの主題、祈り、啓示、受難、混沌」等々 、佐村河内は、ひたすら言葉と図で一時間を超える作品の曲想(コンセプト)を書いている。このコンセプトに沿って新垣は、一音一音メロディーを紡ぎだし、オーケストラ用のパート譜を書き起こしていく。つまり佐村河内はセルフプロデュースと楽曲のコンセプトワーク(ゼロを一にする能力)に長け、新垣は、それを実際の楽曲に展開する力(一を百にする能力)に長けている>
だが、『新潮45』(13年11月号)に載った音楽家・野口剛夫氏による論考「『全聾の天才作曲家』佐村河内守は本物か」を読んで、新垣氏は不安を持った。野口氏がこう綴っている。<ときにはバッハ風、ときにはマーラー風の美しい響きの瞬間も随所にあるが、それらは刹那的な感動の域を超えることがない(中略) 、「交響曲」の最後で(中略)ほとんどマーラーの交響曲(第3番の終楽章?)の焼き直しのような響き>
講談社から出した自伝「交響曲第一番」の中の記述などもウソが多く、新垣氏はここで打ち切ろうというアドバイスをしたが、佐村河内氏は受け入れなかった。 思いあぐねた新垣氏は、自分の教え子でもあり佐村河内氏が曲を献呈していた義手のヴァイオリニストの少女の家族の前で、これまでの真相を話し、謝罪したというのである。こうして綻びは大きくなり、砂上の楼閣は崩れ始めた。
驚くことに「全聾」というのもウソだと新垣氏はいっているのだ。<「実際、打ち合わせをしても、最初は手話や読唇術を使ったふりをしていても、熱がこもってくると、普通の会話になる。彼自身も全聾のふりをするのに、ずっと苦労したんだと思います。最近では、自宅で私と会う時は最初から普通の会話です」>
米誌がつけた現代のベートーベンという言葉に踊らされ、日本人の多くが騙されていた感動物語は、思ってもみないエンディングを迎えてしまった。
しかし、こうだから人生はおもしろいのだ。昔、ロサンゼルスで妻を何者かに撃たれ、悲劇のヒーローになった三浦和義氏に「保険金詐欺の噂がある」と週刊文春が連載し、大騒ぎになったことがあった。感動秘話の裏にあるどす黒い真実を暴き出すのも週刊誌の役割である。そういう意味でも、日本中を驚かせた週刊文春は見事である。
なぜ週刊文春にばかりスキャンダル情報が集まるのだろうか。ここでも何度か書いているが、AKB48のスキャンダルをはじめ、タブーに怖じ気づかず、数々のスクープをものにしてきた週刊文春だから、ネタを持っていけばやってくれるという「安心感」があるからだろう。
他の週刊誌では、おもしろい話ですがうちではコンプライアンスがうるさくてとか、あのプロダクションとはケンカできないのでとかいった「言い訳」で断ることが多いが、週刊文春にはそうした断る理由が他誌よりはるかに少ないのだ。この騒動が起きたとき、ネタ元は週刊文春だとぴーんと来た。週刊文春恐るべしである。