「プロデューサーとしてなら佐村河内氏すごく優秀ですよ」(テリー伊藤)

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   耳の聞こえない作曲家として、「現代のベートーベン」ともいわれた佐村河内守氏(50)の作品は、別人が作曲していたことが明らかになったが、他人の作品で自分の名声が高まることをどう思っていたのだろうか。実際に作曲していたのは桐朋学園大学の非常勤教員、新垣隆氏(43)だった。

   一連の経緯と内容はきょう(2014年2月6日)発売の『週刊文春』(2月13日号)で掲載されているが、「スッキリ!!」は新垣氏に取材したノンフィクション作家の神山典士氏から2人の関係や作曲のいきさつを聞いた。

実際の作曲は桐朋学園大学の非常勤教員・新垣隆氏「もう止めようといったんだが…」

   神山氏によると、新垣氏が佐村河内と会ったのは1996年ごろで、佐村河内がある映画の音楽担当になり、「このテープに入っているメロディーを使って、10~20分のオーケストラの曲にしてくれないか」と依頼され、アシスタントのような軽い気持ちで引き受けた。以来18年間にわたりゴーストライターを務めてきたという。

   佐村河内の代理人の弁護士は、佐村河内のイメージをもとに新垣が作曲したとしているが、代表作といわれる交響曲第1番「HIROSHIMA」の例をみると、佐村河内は文字と図でコンセプトを書いた指示書を渡している。曲は「祈り」「啓示」「受難」「混沌」の4部構成で、「祈り」はビクトリア調、「啓示」はバッハ調、「受難」がモーツァルト調などといった指示があり、時間の割り振りもあるが、音符は一切ない。題名も「HIROSHIMA」ではなく、「現代典礼」だった。

   この曲は広島出身の被爆2世の作品として、2008年に広島交響楽団が初演し、被爆体験の継承と核兵器廃絶への思いが込められていると評価され、広島市民賞が授与された。新垣氏は佐村河内が有名になっていくにつれ不安を覚え、「もうやめよう」と何度も訴えたが、佐村河内は承知しなかったという。

文   一ツ石| 似顔絵 池田マコト
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