若手バレーダンサーの登竜門、ローザンヌ国際バレエコンクールで1日(2014年2月)、長野・松本市の松本第1高校2年の二山治雄さん(17)が優勝した。このコンクールでは、1989年に熊川哲也、2012年に菅井円加が優勝している。
最終選考に残った20人のうち6人が日本人で、2位に横浜市の横浜翠陵高校1年の前田紗江さん(15)、6位に福島出身でモンテカルロ在住の加藤三希央さん(18)が入った。熊川は「日本人が持つポテンシャルが開花した。爽快な気分です」とメッセージを寄せた。
「始めたきっかけは好きな女の子がやってたから」
二山さんは受賞後、「とても嬉しくて、何いったらいいかわからない。いろんな人に支えてもらって感謝してます」と話した。長野の白鳥バレエ学園の所属で、教室の先輩は彼の魅力を「ジャンプ力と柔軟性」という。180度開脚、ブレない回転など、正確な技術で豊かな表現力を産むと話す。深夜1時、2時までレッスンを受け、そのまま教室に泊まって学校へ通うような生活だという。昨年暮れからローザンヌに照準を合わせて調整していた。
バレエを始めたのは小学1年生の7歳だった。本人は「好きな女の子がバレエをしていたから」と話している。3人の姉たちは「いつも踊ってます」「鏡を見ながらポジションとったり」という。母の晶子さん(56)も「何があってもバレエ。信号で止まっていても、横の棒につかまってアラベスクしたり。治雄のお陰で私たちも生活できた」という。
「ご褒美の1年間留学はサンフランシスコ希望」
パリにいる二山さんは電話でこう話す。「(受賞の瞬間は)びっくりして、ホントに自分なのかなと。オメデトウと言われて少しづつ実感が湧いてきました」
受賞で約束されるバレエスクールへの1年間の留学は、第1希望はサンフランシスコだという。「男の子が多いなど、環境が自分に合っていると思います」
夏野剛(慶應大大学院特別招聘教授)は「自分の道を発見するのがいちばん。いまフィギュアも野球もサッカーも、才能が開花している若者がこんなにたくさん出てきているのは、一概に『ゆとり』が悪かったということではないと思いますね」と話す。
司会の小倉智昭「ゆとりの成果ね」
それに賭けた親と子は成功した時だけ輝ける。そうでなかったときでも、いいんだと言い切れるか。これは難しい。