贅沢な料理より普通の主婦・母親が作れる料理
倒れたのは2005年。以来、その姿を見た人は少ない。関係者は「来ない方がいい。必ず連絡するから」と見舞いを断っていた。その日は来なかったが、「死んじゃっても、美味しい私のレシピは永遠にそこの家の家庭料理として残るのが嬉しいわね」という言葉を残していた。
司会の羽鳥慎一「笑い顔が印象に残ってます。これほどバラエティーに出た料理研究家はいないでしょうね」
赤江珠緒キャスター「ホントに家にあるもので簡単に作れる料理を教えてくれましたね」
リポートした原元美紀は意外や合唱団のメンバーだった。たまたま料理の取材にいったら、「あなたソプラノ、やってみない」といわれ、「ええ00、いいんですか」と答えたら、「私、躊躇する人はその場で断ってるの」といったとか。「メリハリがきいた人。明るくて、声が高くて元気。女性が元気な国は栄えるんだあと。ステージでも『関西人の血が騒ぐ』とおっしゃって、10秒に1回お客さんを笑わせないと気がすまない方でした」
羽鳥「宇治原さんと一緒ですね」
宇治原史規(タレント)「うーん、足元にも及ばないですね」(笑い)
合唱団はいまも続いているという。残した著書・レシピ本は200冊を超える。
立花胡桃(作家)「日本のおっかさん。あまり洗い物をださないとか、見た目よりボリュームとか、母親目線で料理を教えてくれました」
文
ヤンヤン| 似顔絵 池田マコト