「小林カツ代」料理まったくダメだった新婚時代「味噌汁にダシ入れるの知らなかったの」

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   「簡単、早い、うまい」をモットーに家庭料理の普及に努めた料理評論家・小林カツ代さん(76)が多臓器不全のため23日(2014年1月)に死去した。梅津弥英子リポーターは「家庭料理の研究に約半世紀。その中で数々の秘伝を公開し、日本の代表的なお母さんのようでした」と伝えた。

   田中大貴アナ「小林さんが料理研究家になるきっかけとなったのは、21歳で結婚してすぐのことだったそうです。そのときは味噌汁でダシをとることも知らなかったそうです」

「先生」と呼ばれると不機嫌!「カツ代さん」ならニコニコ

   司会の小倉智昭「何度か番組でご一緒させていただいたんですが、『小林先生』と呼ぶと少しムッとする。『カツ代さん』と声をかけるとニコニコしてました。そんな気さくな人でした」

   小林さんは「家庭料理というと、中国料理や日本料理の一段下と思われがちですが、本来は同列に並ぶもの」と語っていた。そのことは、日本の庶民の食習慣が「和食」として世界遺産に登録されたことで証明された。

   自然環境の保護にも力を入れた。田中は「旧社会党党首の土井たか子さんらと一緒に『神楽坂 女声合唱団』を結成し、野生動物保護のためのチャリティーコンサートなども行っていました」と伝えた。

   コメンテーターのデーブ・スペクター(テレビプロデューサー)「料理を食べる人のメインは庶民。著名なシェフが作る料理でもそうなのですが、美味しいを大事にした小林さんの歩みは、いろいろなシェフに影響を与えたと思いますよ」

小倉智昭「心残りが一つある。大喧嘩したままなんだ」

   小倉「小林さんへの思いで心残りが一つあるんです。以前、番組の中で自分は野生動物が好きだから、野良猫が来るとつい餌をあげてしまうと話したら、番組スタッフが『それはよくない』と発言して大喧嘩になったことがある。いつかもう一度話し合わないと、と思っていたのですが…」

   小林さんは生前「私が死んでも美味しい私のレシピはその家の家庭料理として永遠に残る。それが嬉しい」と語っていたという。小林さんが考案したレシピは6000点余り。日本の母の味が消えた。

文   ナオジン| 似顔絵 池田マコト
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