「明日ママ」ドラマ監修の元養護施設長「実態と違いすぎると日テレに伝えたのに…」
さて、1月23日の『asahi.com』にこんな記事が載った。<日本テレビ系ドラマ『明日、ママがいない』(水曜午後10時)のスポンサー、JX日鉱日石エネルギー(ブランド名エネオス)とキユーピーは、22日に放送された第2話で、CMの提供をしなかった。放送前、JX日鉱日石は「視聴者からのご意見をふまえ、CMの放送は控えさせていただきます」とコメント。キユーピーも前日、提供社名を外すことを協議しているとしていた。(中略)
芦田愛菜(9)主演の同作は児童養護施設が舞台。これまで施設関係者を傷つける恐れがあるなどとして、「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)を設置する熊本市の慈恵病院のほか全国児童養護施設協議会、全国里親会が放送中止や表現の改善を求めている。慈恵病院は22日、放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送人権委員会に審議を求める申立書を送付した。またこの日、熊本市の幸山政史市長は会見で「過激な描写や演出、現実離れした表現が多く誤解を与えかねない。局は、施設当事者の声を真摯(しんし)に受け止めてほしい」と述べ、改善を求めた>
週刊文春は今号でいち早くこの問題を取り上げている。芦田愛菜主演で今月15日にスタートしたこのドラマは、脚本家の野島伸司氏(50)が脚本監修を務めている。児童養護施設を舞台に、第1話では鈍器で恋人を殴る傷害事件を起こした母親に見捨てられ、グループホームにやってきた少女が、施設でリーダー的存在の「ポスト」(芦田)に出会う。赤ちゃんポストに預けられ、親を知らないまま育っているためについたあだ名だという。そして、新参者に付けられたあだ名は「ドンキ(鈍器)」だった。
その施設で『魔王』と呼ばれる冷酷非情な施設長から、朝ごはんの食卓を囲む子供たちに、「お前たちはペットショップの犬と同じだ」「犬だってお手ぐらいはできる。わかったら泣け。泣いたヤツから食っていい」などと罵倒される。こうした扇情的な描写が功を奏したのか、初回視聴率は14%という好成績だったという。
この番組放映後、日本で唯一「赤ちゃんポスト」(同院ではこうのとりのゆりかごと命名)を運営する熊本の慈恵病院が物言いをつけたのだ。同病院は「施設の子どもへの偏見を生む」として、日本テレビに放送中止や関係者の謝罪などを文書で求め、BPOへ申し立てをしたのである。
また、週刊文春によれば、日テレ関係者は養護施設について取材もし、専門家の監修も受けているといっているようだが、実際にこのドラマの「児童養護施設監修」を請け負った元養護施設長の岡本忠之氏は異を唱える。
<「一話と二話の台本を読み、施設の実態とあまりにもかけ離れていることは、日テレにも伝えました。
特にドラマに出てくる施設長について、『あんな風な言動をしていたら、厚生労働省のほうから即刻注意されますよ』とアドバイスしました」>
専門家からダメ出しがあったにもかかわらず、日テレの制作サイドは特に方針を変えることはなかったということのようだ。
さらに、日テレの局関係者は「結局、良くも悪くも話題作になった。視聴率を考えればガッツポーズです」と話している。
野島氏は『高校教師』や『人間・失格』『聖者の行進』などで、タブーをテレビドラマに持ち込むことで知られている。『聖者の行進』の第四話には、知的障害者へのリンチ場面があり、こんなセリフがあったという。
「お前らは猿だ! 見せ物小屋の猿なんだよ!」
私のように週刊誌で過激なことをやってきた人間には、このドラマについていい悪いをいえる立場にはない。だが、最後まで見なければ、脚本家が何をいおうとしているのかわからないのだから、日テレはCMが入らなくても続けて欲しいと思う。やたらコンプライアンスなどがいわれだし、少し過激な状況や表現を使うことを自粛したり、スポンサーが圧力をかけて来る状況を、私は苦々しく思っている。
少し前に『若者たち』という映画を再び見直した。両親のいない貧しい3人兄弟と長女の物語で、はじめはTBSの連続ドラマであった。60年代、安保闘争や学生運動が世の中を騒がし、まだ高度成長の波が届いていない貧困地域に暮らす若者たちには、頑固な長兄(田中邦衛)との壮絶なケンカが絶えない。
このドラマでは原爆後遺症で悩む青年や、在日朝鮮人の差別問題、学生運動とは何かなどが生な形で語られる。こうした社会性の強い番組がテレビでもできた時代があったのである。
いたずらに過激な設定と言葉を並べ立てて話題にして視聴率を稼ぐだけなら、そんな番組はやらないほうがいい。日テレと脚本家はなぜいまこのドラマをやらなくてはならないのかを視聴者にわかってもらう努力をしなくてはいけないはずである。
BPOが丸ごと正義であるはずはない。堂々と自らの正しさをBPO委員たちの前で主張したらいい。そうしたことをおざなりにしてきたから、テレビは力を失い、見られなくなってきたのだから。