死刑囚の心情に配慮して法廷に防弾パネルや衝立が置かれ、警備員が要所に配置された。異例の裁判が21日(2014年1月)に東京地裁であった。オウム真理教の元幹部・平田信被告の裁判員裁判の第4回公判だ。元教団幹部の中川智正死刑囚(51)が検察側証人として出廷し、自ら関わった仮谷清志・公証人役場事務長の拉致・殺害事件を詳細に証言した。
仮谷事務長拉致・殺害「平田は臨時雇いのパートみたいな存在」
平田は仮谷事務長の拉致に関わったことは認めているが、拉致計画そのものは事前に知らされていなかったと主張している。知っていたのか知らなかったのかをめぐって、中川が法廷で何を語るかが注目されていた。中川はまず「仮谷さんの事件についてはまことに申し訳ありませんでした。ちゃんと証言しますのでよろしくお願いします」と述べ、次のように証言した。
平田が謀議の打ち合わせにいたのかどうかには、「そこまで記憶にない」と語った。路上で仮谷事務長を押し込んだときの様子について、「抱えるように押し込んだが、仮谷さんは『助けて、助けて、助けて』と声を出された」という。
この後、中川は大量の麻酔薬を事務長に注射し、山梨県の教団施設に連れて行って、揺すったり叩いたりして妹の所在を聞き出そうとしたが聞き出せず、さらに大量の麻酔薬を投与した。中川が15分ほど離れて戻ると、事務長は死亡していたという。遺体は施設内で焼却し、遺灰は本栖湖に捨てたという。
傍聴したリポーターの阿部祐二はこう報告する。「事件から19年たち、中川死刑囚がなんとか思い出して事実を伝えようという気持ちでいることは伝わってきました。平田被告が事前に謀議に参加していたのかについては『記憶にない』と証言したが、『でも、こういうことは言える』として、『(平田が)非常に影の薄い、臨時雇いのパートみたいな存在だった』と話しました。平田の主張にちょっと傾いているのかなという感じをうけましたね」