北朝鮮のナンバー2だった張成沢国防委員会副委員長の粛清について、金正恩第1書記は2014年の新年の挨拶で、「党内に潜んでいた汚物を除去した。これで団結が100倍強まった」とあらためて正当性を強調した。いったい何があったのか。その内幕がようやく見えてきた。
脱北者「カネを握った者と奪われた者との争いだった」
張成沢は故金日成主席の娘婿で、金正恩の叔父にあたる。人望もあつかったという。その叔父を切るというのは、どう考えても尋常でない。「利権の争いだった」というのは、ソウルの脱北者キム・スンチョル氏だ。「カネを握った者と奪われた者との争いだった」という。
北朝鮮は朝鮮労働党が支配しており、外貨獲得のための企業も資源も党のものだった。金正日総書記は1990年代にいわゆる先軍政治を敷いて軍優先に改め、利権も軍が優位に立った。しかし、晩年になって、後継の正恩の経験不足を懸念してか、再び党優先に戻していた。
正日の死後、張は正恩の後見人となり、党行政部のトップに就いた。党、政府、軍を人事も含めて掌握し、中国とのパイプ役として貿易、外交も主導し、その当然の結果として利権も集中した。金を握る者が権力も握るのは洋の東西を問わない。
正恩にはこれが脅威だったと見られる。昨年11月下旬、張の側近2人がいきなり公開処刑された。罪状は「政権を奪おうとした罪」だ。目隠しをされ自動小銃で撃たれる様子を300人が見せられた。このとき正恩は地方を視察中だったが、その時の写真では護衛の軍人が抜き身の拳銃を手にしていた。「張の反撃を警戒していた」と北朝鮮ウォッチャーは見る。
そして12月8日、張はすべての役職を解任され、そのわずか4日後に処刑された。張派の粛清はその後も続いたといわれ、ソウルの別の脱北者は北朝鮮の市民との電話で、「(上から)金正恩氏への忠誠の手紙を送れといわれている。自分を守るために渋々従っている」というナマの声を聞いた。