津川雅彦あえて言う!山田洋次監督ボロクソ「日本映画をお粗末にしている元凶だ」
週刊ポストの連載「現場の磁力」にはときどきおもしろいものがある。今週は俳優で監督の津川雅彦が日本映画批判をしているが、なかでも山田洋次監督を批判した下りは的を射ている。紹介しよう。
<山田洋次とはえらい違いだ。「武士の一分」なんて作って〈一分〉を描かない。反対に、武士はだらしないという映画にする。娯楽映画でも芸術映画でもない。なんだろう、あれは。(中略)山田洋次が描く江戸時代は胡散臭い。主演の木村拓哉を実にだらしない武士にする。江戸時代は圧政に苦しんだと左翼はいう。ところがそうじゃない。世界にも稀な町人文化が発達した。庶民が自由で文化的だった証拠です。(中略)
また「武士の一分」の話に戻りますが、時代も捉えていない、空々しいリアリティのない作品です。
ああいうものが、日本映画をお粗末にしているのです。
しかも、いまや、ちゃらちゃらと巨匠といわれる監督の作品だ。
彼となら、映画論をやって私が圧倒的に勝つ。いや、末期的ですよ>
私も1990年代はじめの『フライデー』編集長時代に「寅さんを安楽死させろ」という記事を掲載したことがある。その主旨は、毎年盆暮れに寅さん映画をやるために、それ以外の映画を作りたいと思っても上映できないし、若い監督たちが腕を振るえる場所が狭められているため、有為な監督が出て来ることが出来ない。渥美清も寅さん以外の役をやりたいだろうし、彼にはその力があるのに、寅さんのイメージがつきすぎてしまって、俳優としての幅を狭めてしまっているのは、日本映画の損失である。
概略そのようなことだったが、結局、渥美は死ぬまで寅さんを演じ続け、山田洋次監督は巨匠に祭り上げられ、独りよがりの作品ばかりを撮り続けている。そのうえ、何を考え違いしたのか、昨年は小津安二郎の名作「東京物語」をリメイクした作品を撮ったが、結果は小津はやはりすごかったと再認識させるだけに終わった。
私が好きな吉永小百合を主役にした「母べえ」などは、反戦映画にもなっていないお粗末な出来で、吉永がなぜこんな映画に出たのかと見ていて「可哀想」で泣けて仕方なかった。
山田洋次監督を全否定するわけではない。寅さん映画は平和な日本の象徴であり、見事な反戦映画であったが、彼は寅さん映画で燃焼し尽くしたのだ。
こう書いてきて、いい映画が見たくなってきた。新宿でやっている「ハンナ・アーレント」の評判がいいそうだが、未見なので行ってこよう。キネマ旬報でも2013年の外国映画部門で3位に入っている。ちなみに1位は「愛、アムール」で、2位は先日見た「ゼロ・グラビティ」である。「ゼロ・グラビティ」は3D映画初の傑作、ぜひご覧あれ。