AKB48提灯記事オンパレードに朝日新聞OB怒り心頭「AERAはジャーナリズムの志と矜恃失くした」
『週刊文春』は他の週刊誌の批判をよくする。これはいいことで、仲間内だろうと批判すべきは堂々とするべきである。私も新聞広告を見て少しビックリしたが、『AERA』の新年第1号で、丸ごと1冊秋元康特別編集長というのを出した。AERAは朝日新聞の子会社・朝日新聞出版のニュース週刊誌で、部数は7万部前後、広告媒体としての地位は確立しているそうだ。
これを「不見識」だと元朝日新聞OBで『週刊朝日』元編集長・川村二郎氏が叱っている。<正直な感想をいわせてもらえば、AERAはジャーナリズムの志と矜恃を失くしたといわざるをえない。
編集部の知人に、「君らは貧して貧して、秋元康に城を明け渡したのかね」と聞くと、「年始から恥ずかしい限りです。ニュース雑誌の看板は下ろしたようです」と返事が来た。
批判をすると『粛清』されるので、みな黙っているそうだ。
批判を許さぬ言論機関は、言論機関とはいえまい。昔から、子を見れば親がわかるという。親の朝日新聞が子の真似をしないことを、祈るばかりである>
秋元氏に頼むのなら、彼らしい誌面づくりをしてほしいと私も思うが、見る限りAKB48提灯記事のオンパレードである。これでは「AERAがAKB48に誌面を売り渡した」といわれてもしかたあるまい。
もう1本は週刊現代、週刊ポストの「老人セックス特集」への批判だ。気鋭の思想家・仲正昌樹氏(金沢大学法学類教授)なる人物がこう批判している。<(ポストの12月13日号で=筆者注)『長寿社会の現在、性生活の充実はそのまま人生の満足度につながる』と、正論らしい主張を展開している。
一見もっともらしいが、この場合の『性生活の充実』とは、AV男優なみのテクニックを持ち、若い相手と週に何度もセックスすることなのか? また、性生活が彼らの考えている意味で『充実』してることが、人生の満足度に直結するのか? 仕事も勉強もせずにセックスし続ける若者の生活は充実しているのか? 本気でセックス漬けの老後をサポートしたいのであれば、余計な理屈など言わずにエログロ雑誌になりきるべきではないか?>
こうボルテージを上げているのだが、その後に続く彼のいい分は何とも妙である。<現在五十歳の私は、そろそろ両誌の特集の想定読者ゾーンに入ってるはずだが、これまでの人生で、異性であれ同性であれ性的関係を持ったことがない。別に性的不能と言うわけではない。いろんな仕事入ってきて、かなり忙しいので、セックスの相手も機会もなくても、さほど孤独を感じていない>
忙しさに取り紛れて50近くまで女性との性的関係が1度もなかった? こんな風変わりな御仁に批判されても、週刊現代、週刊ポストの編集長は戸惑うばかりではないか。