「やっぱ好きやねん」などのヒット曲で知られるタレントで歌手のやしきたかじんが亡くなっていたことがきのう7日(2014年1月)にわかった。所属事務所によると、「1月3日、安らかに天国へと旅立ちました」という。64歳だった。
やしきはおととし1月に食道がんがわかって芸能活動を休止し、手術、療養をへて昨年3月復帰したが、5月に体調を崩し再び休養に入っていた。「日刊スポーツ」によると、11月にハワイの別荘に移り、カラオケを楽しんだりの闘病生活だった。この闘病生活を支えた女性と秋に結婚(再々婚)し、女性が最後を看取った。葬儀はすでに近親者で行ったという。
「全身大阪人」物議醸す発言に浪速は喝采!
やしきは1976年に歌手デビューし、ヒット曲を飛ばす一方で数多くのテレビ番組で司会を務め、その歯に衣着せぬ発言で大阪では圧倒的な支持をえた。「関 西の視聴率男」の異名もある。
たとえば85年12月の発言。若者の恋愛観について、「若者白痴時代ですよ。モノを考えない。接触しない。主張しない。喜怒哀楽を表さない。この4つはいまの若者に根ざしてるね」
88年9月に南海ホークスが売却されたとき。「われわれ中年のアイドル、門田選手が世界記録の35号、36号を打った。そのまだシーズン中にこういうことを平気で(出す)という無神経。(博多へ)行ったらいい。その代わりホークスという名前はつけんといて」
番組に出ていた橋下徹氏(現大阪市長)が大阪維新の会立ち上げるとき、背中を押したのもやしきだった。2011年の発足会で橋下と並んで「いろんな形で大阪市、大阪府の一助になればと」と語る映像があった。まさに大阪人の声を伝え続け、それが支持となっていたのだった。
大阪のおばちゃんたち「ほんま?」「言葉ないわ」
昨年の短い復帰のときに出演したジャーナリストの大谷昭宏さんは、その時の様子を「画面上ではつらい場面はいっさい見せませんでしたが、CMの間に水を飲んだり呼吸を整えたりしていたので、相当に体にむち打って復帰されたんだなと見えました」と語る。
5月の再休養では「疲労による食欲不振、睡眠不足から体力の低下があると、主治医からしばらくの休養を要するとの指示がでました」とコメントした。番組に出ていた医師・医療ジャーナリストの森田豊さんは、「突っ込みもはね返さず、あまり元気がないなと思いました。初期の食道がん治療は通常なら半年ぐらいで復帰できるんですが、たかじんさんは1年2か月しての復帰でした。ある程度進んでいたがんだった可能性も否定できませんね」と話す。
司会の羽鳥慎一「ちょっと驚きましたね」
宇治原史規(タレント)「復帰してすぐ療養となったとき、もしかしてと心配しました。大谷さん、森田さんのお話をうかがうと、普通の人なら復帰しなかったかもしれないという気がしますね」
羽鳥「東京には家を持たない…が、関西では大人気でした」
赤江珠緒キャスター「たかじんさんがこう言ってたよみたいな、自分の知り合いのような親近感をもって愛されていた方でしたね。自分たちが思っていることを代弁してくれる存在でした」
羽鳥「街で聞いても、みんな絶句してました」
たしかに、あの大阪人がみな「ほんま?」「言葉ないわ」と。しばらくしてしゃべりだすんだろうが…。