佐野真一「ライバル猪瀬直樹」に晩節を汚すな!でも、彼に隠れて甘い汁を吸った巨悪がいる
『週刊ポスト』にノンフィクション作家・佐野眞一氏の「特別寄稿 猪瀬直樹くんへの手紙」が載っている。佐野氏は約1年前、『週刊朝日』に書いた橋下徹大阪市長批判で轟々たる非難を浴び、連載を1回で中止した。また、週刊ポストに連載した創価学会論「化城の人」に他人からの盗用疑惑があると指摘され、訴えられて現在訴訟中である。
佐野氏が批判されていたとき、猪瀬氏も批判の列に加わっていた。佐野氏と猪瀬氏は20代の頃から仕事を一緒にしてきた古い仲間である。世の批判を受けていた頃、佐野氏は「私はいわば生ける屍も同然だった」と書いている。だが、氏はその時の復讐を猪瀬氏にしたいためにこの一文を書いたのではないと断っている。そしてこう記している。
<「いくら身から出たサビとはいえ、ここまでマスコミの晒し者になってしまった猪瀬が気の毒だなあ」という正直な思いだった。
そういう気持ちになれたのは、私が大きな失意を体験し、立ち上がったばかりだったからかもしれない。
猪瀬の徳洲会問題と私が休筆を余儀なくされた問題は、もちろんまったく次元の異なる問題である。
だが、私から言わせれば、一年を経ずして起きた二つの出来事に、猪瀬と私の間の巡り合わせを感じざるをえなかった。
先輩たちが孜々(しし)営々として築き上げたノンフィクションの信用を裏切ったという点では、猪瀬問題も私の問題も変わらないではないか。ノンフィクションに関わる後輩たちにそう思われるのが、私には一年前の古傷に塩をもみこまれるようで、一番つらい>
猪瀬氏の都知事辞任はやむを得ないものの、この事件の本質は別のところにあると、こう続ける。<徳洲会事件の背後には、猪瀬の後ろに隠れて甘い汁を吸った『巨悪』がいることは、ほぼ間違いない。それを放っておいて、猪瀬という批判しやすい『小物』ばかりを攻撃するマスコミは、どう考えても健全とはいえない。それは一時代前の『トップ屋』と同じやっつけ仕事の匂いがする。私がこの事件は同世代として悲しいと言ったのは、そういう意味である。(中略)
心ある都民は猪瀬の弁明にもならない弁明にみな呆れ返っている。釈明をすればするほど、猪瀬はもう晩節を汚すだけである>
1年ばかりの間にノンフィクション界の大物2人にあってはならないスキャンダルが持ち上がった。ただでさえ取材費が嵩み、売れないノンフィクションに出版社は手を出そうとしなくなっている。そうした中でノンフィクションの信用までも失墜させた2人の責任は重大である。彼らは次なる作品で自らの汚名を晴らすとともに、ノンフィクションの真価を見せなくてはならない。