京都大学の山中伸弥教授がノーベル賞を受賞して1年になる。iPS細胞の最大の期待は、夢の医療といわれる再生医療への応用だ。実用化にどこまで近づいたか。山中教授が所長を務める京大iPS細胞研究所は、基礎研究で作り出したiPS細胞を国内外の研究所に供給している。これまでに602件、この1年で急増した。病気発症の仕組みや原因の究明、新たな治療法の発見、新薬の開発につながる。
山中教授は「人のiPS細胞の発表から6年経って、日本発の成果は予想をはるかに上回った。再生医療では日本が世界をリードしているのです」という。
本物の肝臓と同じ働きしたり、冷凍保存可能な血小板
横浜市立大の谷口英樹教授の研究室。培養液の中に直径5ミリの白い塊が浮いている。「ミニ肝臓」だ。これを1か月で死亡してしまう重症肝不全のマウス に移植すると、生存率が9割になった。複雑な血管構造をもち、周囲の血管とつながって本物の肝臓と同じ働きをする。
外科医である谷口教授は、移植臓器が届かずに亡くなっていく患者を助けたいと研究を始めた。試行錯誤の末、受精卵が人になる過程に注目して、肝臓の元になる細胞、血管の元になる細胞、それを接着させる細胞を混ぜた。すると、培養液の上に広がっていた細胞が自然に固まって立体構造になった。「世界ががらっと変わった、が実感でした」と話す。6年後に人で試みる予定だ。
血小板の止血作用は大手術には欠かせない。献血に頼るしかないが、壊れやすく、採血から4日しかもたない。冷凍保存もできない。安定供給できないのが悩みだ。京大と東大の研究者が共同で作ったベンチャー「メガカリオン」は、iPS細胞が数種類の細胞をへて血小板になる過程に着目した。細胞段階なら凍 結保存が可能だ。解凍して培養すれば血小板ができ、計画供給につながる。この8月(2013年)に、投資ファンドから10億円の出資が決まって、3年後に日米で臨床試験が始まる。
熟練技術者の手作業頼みで1件2000万円!目標は100万円以下
iPS細胞研究は安全性と有効性がカギだが、もうひとつ乗り越えなくてはならない大問題がコストだ。理化学研究所の高橋政代氏は関西で高校生を相手に講演した時、「手術にいくらかかるのか」という質問を受けた。答えは「2000万円以上」だった。
高橋氏は網膜の出血が視力低下・失明を招く加齢黄斑変性の患者に、iPS細胞で作った網膜の移植を来年夏にも行う予定だ。目下、実用化で最先端を行く。しかし、2000万円が実用化といえるかどうか。
何にでもなるiPS細胞を目的の網膜に作りあげるのは難しい。熟練の技術者が毎日手作業を繰り返して3か月。この間にチリひとつ落ちただけで別の細胞になってしまう。高いのはそのためなのである。コストダウンもひとつの闘いになる。高橋氏の呼びかけでできたベンチャー「ヘリオス」は、ロボット企業と提携して600にも及ぶ手作業の自動化を試みている。また、細胞の状態を点検するのに顔認証技術を使えないかと、大手カメラメーカーとの提携を考えている。「100万円以下に」、これが目標だ。
山中教授は楽観していた。「最大のカギは有効性を示すこと。日本の技術はすぐれているから、多くの企業が参入すると間違いなくコストは下がる」と語る。
いま一番実用化に近いのは網膜移植だが、臨床試験の日程は血小板(3年)、パーキンソン病(3年)、脊髄損傷(4年)、ミニ肝臓(6年)と続く。山中教授は「ジグソーパズルだ」という。倫理、当局の規制、社会の容認、資金、企業との連携、すべてのコマがそろわないと臨床には入れない。 とくに必要なのはプロジェクトを統括するCEOである。「民間には人材がいるが、大学には少ない」
山中教授は常にストイックに見える。「父を肝臓病で亡くした。もう少し早かったらと思うが、いまもどんどん亡くなっている」。1日も早くという思いがこれでわかった。世界の思いでもある。
ヤンヤン